2008年09月29日
コンテンツ番号2484
長年の為三顕彰活動を結実
(2008.9.29)
旧森吉町が長年にわたり積み重ねてきた成田為三の顕彰活動が結実した「浜辺の歌音楽館」
為三の代表曲などを聴くことのできるリスニングルーム。見るだけでなく「聴き、学ぶ」ことができ、大学の単位も取得できます
公民館公開講座「先人に学ぶ」の第3回講座が9月29日(月)、浜辺の歌音楽館で開かれ、約40人の受講生が、「浜辺の歌」の作曲家として知られている郷土の先人・成田為三をテーマとした講演を聴講しました。
講師は、同館の終身名誉館長で為三研究の第一人者でもある作曲家の後藤惣一郎さん(86)=栄字前綱=。講演は、為三の実像や、浜辺の歌音楽館などについて3回にわたって学ぶもので、第2回目となったこの日の講座では、「浜辺の歌音楽館の役割」と題し、後藤さんが音楽館を建設した経緯や音楽館の機能などについて語りました。
音楽館は、旧森吉町が郷土の生んだ偉人・成田為三の顕彰と音楽のまちづくりを目指して建設した施設で昭和63年8月に完成。鉄骨造り2階建て813.85(1階422.57、2階391.28)。1階には為三の代表作や日本の代表的な歌曲が聴けるリスニングルームが備えられ、2階は為三の写真や遺品などが展示され、為三の業績を体系的に学べるような構成になっています。
成田為三は明治26年、旧米内沢村生まれ。大正2年に秋田県師範学校を卒業、毛馬内尋常高等小学校教師を務めた後、同3年に現在の東京芸術大学の前身である東京音楽学校に入学します。在学中、在野の山田耕筰に作曲を師事。大正4、5年頃「はまべ(浜辺の歌)」を作曲します。同6年に同校卒業後は佐賀県師範学校に赴任。翌年同校辞任、東京赤坂小学校に赴任。
大正8年『赤い鳥』に「かなりや」を発表、一躍有名になります。以後、『赤い鳥』の専属作曲家となり、大正10年にはドイツ留学、4年間ロバート・カーン教授のもとで作曲法を学びます。帰国後、川村女学院講師、東洋音楽学校講師を経て同15年、国立音楽学校教授に就任。同20年4月には空襲で自宅が焼失、多くの作品を失います。同年10月、脳溢血のため51歳で急逝し、遺骨が米内沢の龍淵寺に埋葬されました。
浜辺の歌音楽館終身名誉館長で為三研究者の後藤惣一郎さん
秋田を離れて長かったこともあり、為三の死後、ふるさとでは偉人としての為三に関心を寄せる人はそれほど多くありませんでした。後藤さんは、その頃からの為三研究のきっかけから語り始めました。「昭和26年、為三の一番弟子でもある国立音楽大学教授・岡本敏明氏(故人)が、為三の意志を継ぎ合唱指導で全国行脚する中で、昭和26年に秋田市と森吉町を訪れた。私が師と仰ぐ岡本先生が、『成田為三先生の作品などがふるさとにおさまって大切にされたらいいんだけどね』と話されたことが、今でも耳に残っている」と紹介します。
その後、後藤さんは岡本先生の協力のもと、昭和32年5月の成田為三追悼音楽会を皮切りに国立音楽大学合唱団を4度にわたって招いたほか、郡市音楽教育研究会の主催で追悼演奏会や墓前演奏会など20回以上にわたり顕彰活動を行いました。「中でも昭和55年9月には800人が参加した『成田為三顕彰の集い』で墓前演奏や記念切手発行、音楽会、座談会などが盛大に行われた」などと、顕彰活動を積み重ねたことを力説します。
こうして『浜辺の歌音楽館建設』の胎動が始まり、後藤さんは昭和60年7月に当時の近藤富治郎町長、金与恵門教育長が、為三資料を保管している国立音楽大学を訪れます。このときの様子を、「訪問した日は学長に難色を示され、近藤町長もあきらめかけていた。しかし、為三の孫弟子ともいえる小山章三先生に連絡したところ、理解を得て翌日再訪問、さらに学長を説得してもらい為三自筆の『はまべ』をはじめ遺作、遺品の多くを譲り受けることができた」、と感慨深く紹介していました。
この結果、建設への重要な基礎条件が整い、町では62年11月に音楽館建設に着手、総工費3億2千万円あまりをかけ63年8月に完成しました。建設費の一部は、音楽館が「博物館法」に基づく施設であることから、当時の文部省視学官であった眞篠将氏の指導を受け、同省補助金も活用された、といいます。
建設にあたり、後藤さんは展示内容をはじめ全体構成を担当、特に「耳で聴く」音楽館をめざし為三の代表曲などを聴くことのできるリスニングルームなども配置します。「歌手や作曲家を顕彰する施設は遺品を見ることが中心であることが多いが、この音楽館は『聴いて』学ぶことができる施設。また、博物館法にもとづいているため、ここで学んだ学生は単位を取得できる」と、特徴を説明していました。
また後藤さんは、「為三は師である山田耕筰や愛弟子・岡本敏明氏によって掘り起こされ、また孫弟子ともいえる小山章三によって引き継がれて今日に至っている。そしてその結実がこの浜辺の歌音楽館であることをぜひ知ってほしい」と語っていました。