2010年10月10日
コンテンツ番号10786
後藤惣一郎先生が米内沢小学校教頭時代.阿仁合線(現内陸線)で通勤していた。車窓に見える「から松」を見ながら、十勝平野のから松や信州のから松を思い出し、白秋の詩に曲をつけてみようと思いたった。
昭和33年に合唱曲として教材作品コンクールに応募し、1位に入賞し、41年には中学校教科書に採用された。後藤先生は、「白秋の詩に人生をたくましく生きようとするのを感ずる。
『から松は淋しかりけり』と歌う一方で、『から松の林の奥もわが通る道はありけり』と歌っている。だから長調で作曲した」と話されている。
合唱曲「から松」は.中学生に愛唱され.やがて、ママさんコーラスや混声合唱団の重要なしパートリーに成長していった。昭和63年に開催されたわが国トップクラスの「西六郷少年少女合唱団演奏会」でも演奏され、全国的に喝薬を浴びた。
また.後藤先生は現在も全国的な音楽活動に走りまわっている。先生は.成田為三研究の第一人者で、森吉町の「浜辺の歌音楽館」の設立や「浜辺の歌」を小・中はじめ沢山の方々に紹介している。また先生の作曲は,「町民歌」「校歌」「園歌」「賛歌」や器楽曲、カンタータなど600曲を越えている。
平成6年には県の教育委員会が学習指導資料『ふるさとの歌』を刊行し収録した17曲の中にも『から松』が紹介されている。平成12年には、これらの業績が評価され、【地域文化功労者】として国から表彰された。
これらの後藤惣一郎先生の業績を顕彰すると共に、山野・自然の限りなく美しい私たちのふるさとに想いを寄せ、そして秋田のさらなる芸術振興を念願し、「から松」の音楽稗建立にかっての教え子や同僚も音楽関係者を中心に実行委員会をつく、.「町づくめ』「地域おこし」にもつなげる大切な事業として発足した。
平成14年9月に第1回の実行委員会を開いてからおよそ3年、頑張って継続し、450人以上の方々にご芳志をいただき.町当局も佐藤石工店.桂造園.長野看板店様方のご協力のお陰でようやく平成16年10月24日の除幕式・式典・祝賀会となった。
全国各地から、そして近くの数多くの皆さんのご協力・ご尽力に心からの感謝を申し上げたい。