2009年02月14日
コンテンツ番号6891
吉川教授講演「胡桃館遺跡と古代仏教」から
市教育委員会が主催する文化財報告会が2月14日(土)、市中央公民館で開かれ、訪れた歴史ファンらが市の文化財についての調査・保存活動の報告や胡桃館遺跡についての講演に耳を傾けました。
報告会は、市の文化振興についての取り組みや昨年6月に開かれた題59回全国植樹祭でもその出土部材が展示紹介された胡桃館遺跡の調査発掘成果などを紹介し、関心を持ってもらとうと開かれたもので、胡桃館遺跡については京都大学の吉川真司教授による講演も行われました。
報告会では、市教委の長岐直介生涯学習課長が世界遺産暫定リストに登録された伊勢堂岱遺跡や国の重要文化財に指定された金家住宅などの担当事業の取り組みを紹介。文化財保護から図書館などの施設運営、郷土芸能やコンサート開催といった広い事業に加え、最近では子育て支援の観点から家庭教育学校、放課後子ども教室などにも重点が置かれていることを説明しました。その上で、「4月の機構改革で公民館とも組織が一体化になる。子どもから女性、高齢者まで広い世代に対応した事業を手がけていくことになるが、市民と一緒になって文化のまちづくりに努めたい」と活動方針を述べました。
また胡桃館遺跡については、同課の担当者が、昨年7月と11月に国の機関の協力で行われた遺跡範囲確定のための地中レーダー探査による調査成果を紹介しました。
胡桃館遺跡は、昭和38年に現在の鷹巣中学校の野球グランド整備中に発見された、今から千年前(平安時代)の遺跡。9世紀後半から10世紀初めの役所跡、または寺院だった建物とみられ、同時期の十和田火山の噴火による土石流で埋没したと考えられています。発見当時の発掘調査で、4棟の建物跡や、「守」「寺」などと読める墨書土器片などが見つかったほか、最近の研究でも建材の一部に書かれていた墨書の解明が進むなど関心が高まっています。
説明では、レーダー探査の反応を分析し作成した、建物跡ではないかと新たに推測された図版なども紹介され、さらに広がりを見せた遺跡の範囲に、参加者も身を乗り出して見入っていました。
続いて、「胡桃館遺跡と古代仏教」をテーマに、吉川教授の講演が行われました。吉川教授は古代史が専門。東北をはじめ秋田の歴史にも造詣が深く、胡桃館遺跡にも何度も訪れ研究されています。
吉川教授は、胡桃館遺跡の性格や出土した建物の扉板に書かれていた墨書について触れ、「扉板の墨書は、お坊さんが経典を30巻ずつ3日間読んだ記録と解釈できる。僧侶が経典を読むのは何らかの災いに対しての加護を祈るためで、災いとは、他の公文書などの記録から西暦915年に起きたとされる十和田火山の噴火である可能性も否定できない」と述べて、胡桃館遺跡の全体か、もしくはその一部が常設の寺として使われた建物であることを指摘しました。
さらに、「建物の周囲から見つかった土器片に書かれていた『守(かみ)=役人を表すことば』と『寺』の文字のうち、『守』は、一見そう読めそうだが、うかんむりの書き方などから推測すると、文字の一部が消えているだけで、こちらも『寺』ではないか」と自説を展開しました。
このほか、建物の近くで見つかった3本柱が、『幢竿』と呼ばれる寺院などで旗やシンボルを立てるための柱とその支柱の一部である可能性や、これらの解釈から浮かび上がった胡桃館遺跡寺院説について言及し、「建物がどう使われたかは今後の研究を待ちたい」と、現在進められている調査への期待を寄せました。
その上で教授は、インドから中国に伝えられた仏教が空海や最澄によって日本に伝えられ、さらに最東部ともいえる秋田にその証があったことを、「当時、朝廷による蝦夷支配と重なり合いながら、仏教がこの地に息づいていた。胡桃館遺跡は日本最北の古代寺院であり仏教東漸のフロンティアだといえる」と述べていました。
参考(過去の記事から)
(2009.2.14)