2007年08月04日
コンテンツ番号9720
ミニシンポジウム「胡桃館遺跡を考える」
(2007.8.4)
ミニシンポジウム「胡桃館遺跡を考える」が8月4日、鷹巣中学校で開かれ、考古学ファンなど約60人が遺跡の発掘成果などについて理解を深めました。
胡桃館遺跡は、今から約1,000年前の十和田火山の噴火によるシラス洪水で埋没したといわれている平安時代の遺跡。昭和38年に現在の鷹巣中学校野球場整備の際に発見され、その後の発掘調査で4棟の建物跡やその周りを取り囲む柵跡が見つかりました。
このときに出土した木簡(文字が書かれた木札)が37年後の平成16年に独立行政法人奈良文化財研究所(略称:奈文研)の調査で解読され、これをきっかけに市と同研究所がこの6月から、当時発掘された建築部材全体について最新の技術を用い合同による調査を進めています。
シンポジウムは、遺跡の特徴や調査成果の概要などを地域のみなさんに紹介し、理解を深めてもらおうとの趣旨で開かれたもので、司会には遺跡発見当時、鷹巣農林高校の教諭として調査に携わった元県立博物館長の冨樫泰時氏を、また紹介者として今回の調査にあたっている奈文研の研究員・箱崎和久氏を招き、同氏と市教育委員会の榎本剛治主任学芸員が説明役を務めました。
第1部では、遺跡が埋没した原因である十和田火山の噴火やシラス洪水に題材をとったのではと言われている民話「八郎太郎」を紹介する市教委が制作したビデオが上映されました。
このビデオは、鷹巣西小学校(五十嵐經校長、児童数98人)の6年生が、「ふるさと学習」として同伝説や十和田火山大噴火について学習していることから、市教委がこの民話の語り手として出演を依頼、朗読と釈迦内小学校の児童が昭和60年に制作した民話の版画を交互に挿入する構成で制作されたものです。児童たちは、学習で八郎太郎伝説の読み聞かせコンサートも体験しているだけに、聴き手に訴える語り部ぶりに、参加者も感心しながらビデオを鑑賞していました。
第2部では、はじめに榎本主任学芸員が遺跡発見の経緯や昭和42年から3年間にわたり県と旧鷹巣町による組織的な調査が実施されたこと、その結果、十和田火山の大噴火によって鷹巣盆地全体がシラスの土石流で埋まり、遺跡も埋没したことなどを説明しました。また、当時の地面は現在より3メートルも低く、洪水によるシラスの上に現代の地面があることや、その結果、奇跡的に遺存状態がよく保たれていることから、全国的にも例がない貴重な遺跡であることを紹介しました。
続いて説明にあたった奈文研・箱崎研究員の専門は建築。胡桃館遺跡からの出土建物の一つは、板校倉(あぜくら)と呼ばれる構法であること、また別の建物は静岡県の登呂遺跡で発見されたような高床式の建物であること、ノミや手斧(ちょうな)などの道具を使った痕跡がはっきりと残っているなどを紹介。
その上で、「部材が、(倒壊・分散せずに)当時の状態を保持して発掘されたことは、たいへん貴重」「平安時代の建築物の遺跡は非常に少なく、奈良県とその近郊に少し残っているだけ。地方で発見されたことは他に例がなく、日本建築史の空白を埋めるといっても過言ではない」などと、発見の重要さについて述べていました。
また、この日参加予定だったものの台風の影響で欠席された奈文研の山本崇研究員に代わり、榎本主任学芸員が出土木簡について説明しました。木簡はこれまで3点見つかり、赤外線照射という最新技術を用いた調査によって墨で書かれた文字の解明が進んでいます。榎本職員は、「玉作」「伴」などこの地方に住んでいたと思われる人の名前が書かれていること、「米一升」「米三合」など米の量を記す文字などから、米を支給した記録ではないかと推測されていること、また別の木簡には読経した記録が書かれていたことから、建物は寺院だった可能性もあることなどを紹介しました。
参加者の関心も高く、質疑応答では「建物の上屋部分が残っていないのは、洪水で流されたのではなく腐食が原因では」「遺跡の部材にノコギリの痕跡はあるか。また、当時のこの地方の一般的な建築方法は?」との質問に、箱崎研究員は、「部材に強い力が加わった跡が見られることなどからそう推測している」「この遺跡の部材にもノコギリの痕跡がある。ただ、ノコギリの形状や用途は現代のものとは少し異なるようだ」「発見例が少なく、これからの研究成果を待っているところ」などと答えていました。
また冨樫氏は、上屋部分が残っていないことについて、当時発掘調査に加わった経験から「野球場建設のときの整地作業でブルドーザーを使ったため、埋もれていた部材にブルドーザーの衝撃が加わった可能性もある」と、新たな情報を提供していいました。遺跡合同調査は今年の末まで継続して実施され、まとまった調査結果が報告される予定です。調査については、次までお問い合わせください。