2006年02月25日
コンテンツ番号4386
講演会「北秋田市の古代〜胡桃館遺跡の木簡からわかること」
(2006.2.25)
市中央公民館主催による講演会「北秋田市の古代〜胡桃館遺跡の木簡からわかること」が2月25日(土)、同公民館で開かれ、歴史ファンらが胡桃館遺跡から出土した木簡や埋没家屋の話に耳を傾けました。
この講演会は、胡桃館遺跡の木簡に書かれた文字などの最新の研究成果などを紹介し、地元の歴史に関心を持ってもらおうと企画されたもの。講師には古代史を専門とする秋田県埋蔵文化財センター・払 田柵(ほったのさく)調査事務所の高橋学・学芸主事を迎えました。高橋講師は、専門の古代史をはじめ、中世史など秋田県の歴史を幅広く研究され、胡桃館遺跡の木簡についても論文を執筆されています。
胡桃館遺跡は、昭和38年に現在の鷹巣中学校の野球グランド整備中に発見された、今から千年前(平安時代)の遺跡です。9世紀後半から10世紀初めの家屋とみられ、同時期の十和田火山の噴火による土石流で埋没。1967年から3年間の発掘調査で、4棟の建物跡や、「寺」と読める墨書土器片などが見つかっています。
また昨年3月、文化遺産の総合的な研究を行っている独立行政法人奈良文化財研究所の調査・研究によって、37年ぶりに出土した木簡の文字の解読に成功、人物などの記録が明らかになったことが新聞等でも紹介されましたので、覚えている方も多くいらっしゃると思います。木簡は、赤外線テレビカメラなどを使い、解析した結果、「物名張」「米一升」などの文字が判読でき、米を支給した際の数量や、支給を受けた人物の名前を記した帳簿であることが分かりました(⇒詳細はこちら)
「胡桃館遺跡の埋没家屋は寺院として使われていた可能性がある」と話す高橋講師
このような調査結果などをもとに高橋氏は、「北秋田市には、国指定史跡になった伊勢堂岱遺跡ばかりでなく重要な遺跡がいくつもある。胡桃館遺跡もその一つ。十和田火山の大噴火による土石流で埋もれてしまったことはわかっているが、噴火が何時起きたのか、これまではっきりはわかっていなかった。しかし、平安時代に書かれた比叡山延暦寺の僧侶の記録『扶桑略記』に記された気象現象の記録などから、延喜15年(西暦915年)8月18日と考えるのが妥当」と、大噴火の時期を紹介、ミステリーを解くような歴史のおもしろさに引き込みます。
そして、「埋もれた遺材の観音開きの扉に書かれていた墨書が3日間にわたる経典読誦の記録であることや、『寺』と書かれた墨書土器があることなどから、建物は寺院として機能していたことになり、この遺跡全体を理解する上でも重要な意味をもつ」と、10世紀初頭にはこの地方にも仏教が浸透し、法会(ほうえ=僧俗を集めて仏の教えを説き聞かせる会合)が行なわれていたという新事実が明らかになっていることを紹介しました。
胡桃館遺跡の埋没家屋は、これまで豪族の屋敷、あるいは役所として使われたのではないかと言われていただけに、「寺院として使われていた可能性がある」との解釈を聴き、参加者は、胡桃館遺跡の謎と地方史の奥深さにさらに関心を高めていた様子でした。