2008年07月20日
コンテンツ番号2268
記念式典、イベントで開港10年の節目を祝う
(2008.7.20)
平成10年に開港した大館能代空港の「開港10周年記念感謝祭」が7月20日(日)、同空港で開かれ、関係者らがくす玉を開いて節目を喜びあったほか、市内外から訪れた家族連れなどが熱気球の体験試乗など各種イベントを楽しみました。
大館能代空港は、県が設置・管理する第3種空港として平成10年7月18日に開港。当初は東京日便と大阪便、札幌便(季節運行)が各1便づつ就航していましたが、現在は東京便2便、大阪便1便の通年運行体制となっています。
利用客は、平成14年度の約17万人をピークに19年度は14万人を割り込むなど減少傾向が続き、観光を組み入れた旅行商品などによる需要拡大が課題となっています。
空港ビル搭乗ロビー前で行われた記念セレモニーには、大館能代空港利用促進協議会会長を務める小畑元大館市長、岸部市長、藤田了治北秋田地域振興局長、成田優大館能代空港管理事務所長ほか関係者、来場者など100人ほどが出席。
はじめに小畑市長が、「住民、関係者一丸となって運動を展開、6次空整に最後に認めてもらった空港。用地取得も何の問題もなく進み、考えられないほどスムーズに建設が進んだ。それほど熱意があった」とこの10年を振り返り、「開港から10年がたち、あるのが当たり前のように思われているが、多くの人々の理解で翼を与えてもらったことを忘れてはならないだろう。この翼を次代に引き継いでいくために、これからも努力したい」などと、あいさつ。
この後、空港が開港した平成10年7月18日と同じ日に生まれた圏域内市町村4人の子どもたちに羽田までの往復航空券がプレゼントされ、代表の神成沙貴子さん(大館市・城南小学校4年)と塚田佳奈さん(大館市・上川沿小学校4年)が小畑利用促進協議会長から目録を受け取りました。
続いて、両市長、藤田局長、成田所長、航空会社の関係者、神成沙貴子さんらでくす玉が開かれると、周りで見守っていた人々から大きな拍手が沸き起こりました。
セレモニー終了後、搭乗ロビー前では「大館ゴスペルクワイヤ・ジョイフルシンガーズ」が華麗でノリの良いゴスペルコーラスで、また潟上市の「ダースコちんどん隊」がにぎやかなちんどん芸で式典に花を添えたほか、空港ビルの外では熱気球体験コーナーに長い行列が並び、また空港で働く特殊車両や空港消防車の展示コーナーで子どもたちの歓声が響くなど、盛りだくさんのイベントで終日賑わいました。
大館ゴスペルクワイヤ(コーラス)「ジョイフルシンガーズ」とダースコちんどん隊が記念式典に花を添えました
『大館ゴスペルクワイヤ(コーラス)「ジョイフルシンガーズ」とダースコちんどん隊』動画をダウンロード1|2
大館能代空港の経緯
大館能代空港は、昭和57年に県議会が県に対し県北地区への空港建設運動を起こすよう要望して以来、その5年後の63年には県北18市町村による「秋田県北空港建設促進期成同盟会」が設立され、地域一丸となって建設運動が展開されました。
当時、国の第6次空港整備5カ年計画に組み入れを目指していた空港には中部国際空港、びわこ空港、静岡空港など9つの空港がありましたが、この中で大館能代空港が圏域人口、予想される利用客数が最下位であったことなどから、運輸省からは難色を示されていました。
期成同盟会では、圏域全体で33万人を超える署名を集め、また60回以上の陳情活動や2千人以上を動員した決起集会の開催など精力的に運動を展開。運輸省からも「これほど熱心な陳情ははじめてだ。あらゆる角度から検討している」と認識を変えさせることとなり、平成3年11月には第6次空整の予定事業組み入れが閣議決定、平成5年12月、運輸省が空港設置の許可が下り、その後5年を経て大野台中屋敷に空港が完成しました。
開港当初は東京便と大阪便、札幌便(季節運行)が各1便づつ就航していました。その後、採算ラインに達しないなどの理由で札幌便は2年で運休、大阪便も一時季節運行となっていましたが、その後運行機種が小型化され、現在は東京便2便、大阪便1便の通年運行体制となり、利便性向上のため東京便の増便に向けた活動に取り組んでいます。
利用客は、平成14年度の約17万人をピークに19年度は14万人を割り込むなど減少傾向が続き、広域観光を組み入れた旅行商品などによる需要拡大が課題となっています。
大館能代空港利用促進協議会長の小畑元・大館市長らは、16日、東京の全日空本社を訪問し羽田線の増便を要望しました。また、この日小畑市長は大阪市内で旅行業者対象の観光キャンペーンのため、協議会の担当者らとともに同空港から大阪に向かいました。