2007年05月29日
コンテンツ番号11083
中央公園(旧名称:鷹巣中央公園)の由来
(2007.5.29)
- 所在地:北秋田市脇神字石の巻岱226
- 事業認可:昭和29年5月13日/ 供用済み面積23.5ha
中央公園(旧鷹巣中央公園)は、かつては「堂ケ岱堤」と言われた農業用貯水池。もともと松や山桜の景観に優れていましたが、観光遊園地としてよりも魚釣場やジュンサイの採取場として知られていました。また、厳寒期には凍結した堤から氷が採取されたほど寒い場所でした。昭和38年に東宝で映画化された小説「林檎の花咲く町(辻美沙子原作)」では、主人公らが堤でスケートをする場面が描かれています。
また、公園区域内に位置する陣場岱Ⅰ・Ⅱ遺跡や高森岱遺跡の発掘から、公園一帯にはかつて縄文時代の集落があったと推測されており、土器や石器片が多数出土しています。昭和38年には完全な形の「香炉型土器」が高森岱遺跡から出土しています(鷹巣農林高校博物館所蔵)。
同公園が観光地として名乗りを上げたのは、昭和の合併前の昭和27年。この年、秋田魁新報社がハガキの投票で「観光秋田三十景」を選定することになり、「沢口会(当時の鷹巣町在住沢口村出身者の会)」が中心となって町内外に働きかけ、入選したのがきっかけです。この頃、すでに町村合併の気運が高まっており、沢口会では新生鷹巣町の中央に位置するこの堤を「鷹巣中央公園」の名称で応募、26位での入選となったそうです。
入選をきっかけにこの翌年、堤を管理する堂ケ岱集落では当時の沢口村長に都市計画公園として整備を進めるための要望書を提出、村でも環境整備に乗り出し、昭和29年5月、国の認可により「鷹巣中央公園」が誕生、昭和31年には合併後の鷹巣町議会で都市公園として決議されました。
その後、中の島に架かる「風青(ふうせい)橋」や児童遊園地(32年)、老人憩の家「青葉荘」(48年)、野球場(50年)などと、徐々に整備が進みました。昭和52年には「新観光秋田三十景」に上位(11位)で入選、その後も旧鷹巣町の観光のシンボルとして積極的に整備が行われ、樹木の植栽や遊歩道、1周2.4キロのトリムランニングコースのほか、テニスコート(4面)などが整備されています。
樹木と水辺空間が一体となっていることから、マガモやキジ、ウグイス、ツグミ、ノビタキなどの野鳥も多く、カワセミが目撃された例もあります。園内に生い茂る樹木はおよそ60種、4千4百本あまり。特にソメイヨシノは約720本、アカマツが760本と、公園の代表的な樹木になっています。
公園の景観を最も特徴付けているのが、堤北側の出島「浮島」のアカマツ。背景になる赤い「風青橋」とともにシンボル的な存在となっていましたが、昭和56年の台風15号と平成3年の台風19号でその一部が倒れ、現在は残った松の木を補強・修復し、景観の保全に努めています。
また、住民や各種団体も桜などの記念植樹、稚鯉やヘラ鮒の放流、アジサイの植樹などを行っており、このような取り組みの結果、春の桜まつりやヘラ鮒のつり場、散策を楽しむ憩いの場として広く利用されています。なお合併に伴い、法令上の名称は「中央公園」と改称されています(北秋田市都市公園条例、同規則ほか)。
(資料:鷹巣町史、沢口郷土史、建設課台帳、
小説「林檎の花咲く町(辻美沙子作)」、長谷川裕氏談話ほか)