2006年10月27日
コンテンツ番号11007
__享保の初めごろといいますから18世紀初めのことです。打当の奥に見崎金山が山師津の国屋藤八によって開かれると、黄金の夢に吸い寄せられるように若者たちが集まってきました。
__金山にはむらの若い娘たちも働いていましたが、そのなかにヤスという17歳になる娘がいました。ヤスは顔立ちもよく気立てのいい娘でしたから、若者たちの憧れの的でした。言い寄る男はたくさんいましたが、ヤスはだれも近づけようとしませんでした。 そのヤスが恋をしたのです。
相手は腕もよく実直な久太郎という評判のいい男でした。久太郎も見崎小町といわれるほどのヤスでしたから、憎からず思っていました。しかし山には男女の仲はご法度という固い掟があり、逢瀬も思うようになりません。
__ある日山菜取りの帰り道、久太郎の小屋の前をとおりかかると、久太郎が一人で留守番をしていました。 日ごろ人目があってろくに口も聞けないヤスは、久太郎のもとにかけより愛を語り合いました。ところが運悪く、そこへ仲間たちが帰ってきました。そして、二人の仲を妬んでいた仲間たちは、男女の仲はご法度だと騒ぎ立てたのです。
__難がヤスに及ぶのを恐れた久太郎は「いつかはきっと迎えにくるとヤスに伝えてくれ」と友人に頼んで、山を下り故郷へ帰ってしまいました。仲間の制裁を恐れた友人は、伝言をヤスに伝えなかったので、ヤスは悶々と久太郎を思いつづけるのでした。
しかし、夏が過ぎ秋がきても、久太郎は姿を見せませんでした。 __あるとき、仲間の一人が 「久太郎は法度を犯した罪でとらえられたから、もうあいつのことは 思いきったほうがいい」とヤスに伝えました。ヤスがおどろき、悲しんだのはいうまでもありません。
中秋名月の夜、ヤスが思い出の小屋に行ってみると、小屋はすっかり荒れはてていました。ヤスはそのまま山道を滝のほうへたどり、あとを追ってきた仲間たちが追いつこうとしたとき、「久太郎!、久太郎!、久太郎!」と三度恋人の名を呼んで、千尋の滝へ身を投げたのでした。
__以来この滝を「ヤスの滝」と呼ぶようになり、この滝へくると恋が叶えられると、若い男女がやってくるようになりました。そしていまでも月夜には、ヤスが荘厳な風景をバックに、黒髪をすいている姿を見ることがあるそうです。