2005年10月29日
コンテンツ番号10718
わたしの父は、福祉関係の仕事をしています。旧合川町は、福祉の町と呼ばれ、たくさんの福祉施設があります。その中の一つの福祉施設で、父はお年よりの方や、障害者の世話をしています。今までに目も見えず、耳も聞こえない人の世話したことがあるそうです。
そういう人には、手に文字を書いて会話するのだそうです。言葉は通じるかもしれませんが、気持ちを伝えることは難しいので、目や耳の不自由な人との会話は大変なことだと思います。でも、父のように障害者の方とコミュニケーションをとる人も必要です。とても大変なことですが、やりがいのある仕事だと思います。
もう一つ、この仕事は大変な仕事だと思うことがありました。父が担当していた障害者の方が、父が注意しただけでおこってしまって、なかなか指示したことが分かってもらえないときもあるそうです。自分は注意したことが相手になかなか分かってもらえないことは、とてもつらいことです。しかし、意志が伝わらないときでも相手の話に耳をかたむけることは大切です。担当の方とうまくいかない場合もあるけれど、父はこの大変な仕事をがんばっています。
とまりの日には、夜中の見回りをします。障害者が安心して生活できるように心がけているそうです。わたしは、障害者のために仕事をがんばっている父を尊敬します。障害者の方も福祉施設で一日一日の生活をがんばっていますが、わたしは障害者の方を特別な目で見てしまったことがありました。
わたしは、ときどき父の仕事場にものを届けるために母と行くことがあります。母が父にものを届けている間、わたしは一人で車で待っていました。そうすると廊下から、障害者の方がこっちを見ていました。そして、手をふってくることもあります。
でも、わたしはこわくて目をそらし、早く母がもどってこないかなと思っていました。そのことは、障害者の方に失礼なことだと分かっていても、どうしても手をふることができません。特別な目で見ている自分が情けなくなってきました。障害者の方でも、一人の人間として接している父、障害があっても、普通に交流することが大切なのに、わたしはできませんでした。
総合の時間に、福祉について学習しました。その中で、バリアフリーという言葉について調べました。バリアフリーとは、障害のあるお年寄りなどが、自分の力で自由にいろいろな所に行くことができるように、段差などの目に見えるバリアをなくすることです。みんながくらしやすいようにしようという考えでした。わたしは、身のまわりのバリアをなくすだけでなく、一人一人の心のバリアをとりのぞくことも大事だということに気づきました。
体の不自由な人に対しても、障害を持っている人に対しても特別な目で見ないで、一人の人間として交流することが大切なのです。 今度福祉施設を訪問するときは、自分から相手の方に手をふりたいと思います。心のバリアをのぞいて。