2017年07月15日
コンテンツ番号3667
豪快な音を響かせ豊穣祈願
「大太鼓祭り」として知られている八幡宮綴子神社(武内尊英宮司)の例大祭が、7月15日(土)に同地区で行われました。大名行列が地区内を練り歩き、直径3.71メートルの大太鼓や、獅子踊りなどの郷土芸能が神社に奉納され、五穀豊穣などを祈願しました。
例大祭は、今から約700年前の弘長2年(西暦1262年)ころから始まったと伝えられています。当時、綴子村が灌漑用水の不足に悩んでいた際、雨乞いの神事として天に届くような大きな音を轟かせる大きな太鼓が作られ、明治の末期にはすでに直径6尺(1.8メートル)ほどであったといわれています。
当時の奉納行事は、源氏と平家、藩政時代以降は徳川方と豊臣方に別れた上町・下町両集落が合同で行っていましたが、奉納の先陣争いでけが人が出るほどでした。そのため昭和のはじめからは、両集落が一年交代で奉納することになり、今度は太鼓の大きさを競い合うようになりました。昭和6年には下町が2.10メートルで上町の太鼓は直径2.16メートルでしたが、以後交互に新調・改造を行ない、現在では両集落とも直径が4m近い巨大なものになりました。
今年の当番町は下町。下町の大太鼓は最も大きなものは直径3.71メートルで、昭和61年に製作され平成元年に世界一大きな和太鼓としてギネスブックで認定されており、2番目に大きなものでも3.18メートルあります。 また、奉納は出陣行列の形式で行われており、下町は豊臣方で奉納を行います。例大祭はかつて、旧暦の6月14日と15日に行われていましたが、昭和42年から7月14日・15日を定例日として開催されています。
例祭の15日は、取り仕切り役の太夫と「ヤツパレ」といわれる棒術の使い手を先頭に50人あまりの出陣行列が大太鼓の館向いの綴子基幹集落センターを出発し、3張りの大太鼓を打ち鳴らしながら綴子神社まで練り歩きました。沿道には市内外から訪れた観光客などが、大太鼓を目の前に盛んに写真を撮っていました。
行列が神社に到着すると、境内では地元の人たちや観光客が見守る中、作占い「湯立ての神事」が行われました。大鍋にお湯を沸騰させ、神職や氏子がワラで作った湯ぼうきでかきまわして立つ湯のしぶきの加減を見ながら、作物の作況を占った結果、今年は「作柄は平年並み。水の管理に気を付け、愛情を持って育てること」と説明しました。
このあと、大名行列を取り仕切る太夫の口上で始まり、勇壮な獅子踊りや、奴踊りなどの奉納行事が行われました。踊り手は、長距離走をこなせる若者でないと演じきれないとも言われ、躍動感豊かな舞に見物客から大きな歓声と拍手がわき起こりました。さらに、子どもの奴が大人顔負けの演技を披露したほか、青年会の奴が軽快な立ち振る舞いで扇奴、綾奴などの奴踊りの演目や、棒使いの技を鮮やかに決め、満場の拍手を受けていました。