2018年10月29日
コンテンツ番号3459
名曲を後世に伝える
北秋田市出身の作曲家・成田為三先生墓前演奏が、10月29日(月)に米内沢の龍淵寺で行われ、地元の合唱団や市民などが参加し、時代を超えて歌い継がれる名曲を残した郷土の作曲家をしのびました。
成田為三は明治26年、旧米内沢村生まれ。大正2年に秋田県師範学校を卒業、毛馬内尋常高等小学校教師を務めたあと、同3年に現在の東京芸術大学の前身である東京音楽学校に入学します。在学中、山田耕筰に作曲を師事。同4、5年頃に「はまべ(浜辺の歌)」を作曲します。同8年には真価ある童話や童謡を創作し紹介していく雑誌「赤い鳥」に「かなりや」を発表して一躍有名になります。そのあと、ドイツに渡り本格的な作曲技法を学び、帰国後に川村女学院講師、東洋音楽学校講師を経て、国立音楽学校教授に就任します。そして、昭和20年4月の空襲で自宅が焼失し、多くの作品を失います。同年10月に脳いっ血のため51歳で急逝し、遺骨が米内沢の龍淵寺に埋葬されました。
墓前演奏は、昭和32年5月29日に、教授を務めた国立音楽大学合唱団50人によるものが最初。そのあと、昭和36年10月29日に17回忌追悼墓前演奏会(米内沢小学校児童150人)、昭和44年9月1日に墓誌碑除幕の際の演奏(国立音楽大学64人)などが行われています。現在のかたちで行われるようになったのは、浜辺の歌音楽館が開館した翌年の平成元年からと推定されます。
この日の墓前演奏には、地元の合唱団コール・もりよしと浜辺の歌音楽館少年少女合唱団、る・それいゆ、浜辺の歌音楽館運営審議委員、市教育委員会、市民など約50人が参加。はじめに、遺影が飾られた墓前で龍淵寺の奥山亮修住職が読経し、参列した各団体の代表者が焼香を行いました。そのあと、浜辺の歌音楽館少年少女合唱団が「雨」と「かなりや」を、コール・もりよしとる・それいゆが「ほろほろと」を披露。最後に参加者全員で「浜辺の歌」を高らかに合唱し、成田為三先生の功績をたたえました。