2018年07月15日
コンテンツ番号3389
五穀豊穣を願い大きな音を響かせる
(2018年7月15日)
「大太鼓祭り」として知られている八幡宮綴子神社(武内尊英宮司)の例大祭が、7月15日(日)に同地区で行われ、古式ゆかしい大名行列が地区内を練り歩き、直径3.8メートルの大太鼓をはじめ、獅子踊りなど郷土芸能を奉納して五穀豊穣などを祈願しました。
例大祭は、今から約750年前の弘長2年(1262年)頃から始まったと伝えられています。当時、綴子村が灌漑用水の不足に悩んでいた際、雨乞いの神事として天に届くような大きな音を轟かせる大きな太鼓が作られ、明治の末期にはすでに直径6尺(1.8メートル)ほどであったといわれています。
当時の奉納行事は、源氏と平家、藩政時代以降は徳川方と豊臣方に分かれた上町・下町両集落が合同で行っていましたが、奉納の先陣争いでけが人が出るほどでした。そのため昭和の初めからは、両集落が一年交代で奉納することになり、今度は太鼓の大きさを競い合うようになりました。昭和6年には下町が2.10メートルで上町の太鼓は直径2.16メートルでしたが、以後交互に新調・改造を行い、現在では両集落とも直径が4メートル近い巨大なものになりました。
今年の例大祭は、上町が当番町。上町の大太鼓は最も大きなものが直径3.8メートル、二番目に大きなものでも3.3メートルあります。例大祭はかつて、旧暦の6月14日と15日に行われていましたが、昭和42年から7月14日・15日を定例日として開催されています。
前日夜に行われた宵宮祭に続き、本祭りの15日は、取り仕切り役の露払い太夫と「ヤツパリ」といわれる棒術の使い手を先頭に団旗、陣旗、豊年旗、槍や鋏箱を持った奴、裃(かみしも)に陣笠姿の侍など約60人の大名行列が、3張りの大太鼓を先導し、地区の北側から綴子神社までの約400メートルを練り歩きました。
綴子神社に到着後、境内で稲作の豊凶を占う「湯立神事」が行われ、武内宮司より「今年の作柄はあまり良くないが、努力と天候によって平年に近い作となる」との結果が告げられました。
この後、地元の人たちや観光客が詰めかける境内で、躍動感あふれる獅子踊りや奴踊などが奉納され、見物客から大きな拍手が送られていました。