2005年08月14日
コンテンツ番号5026
〜第33回合川まと火、第25回合川ふるさとまつり〜
第33回合川まと火、第25回合川ふるさとまつりが8月14日、合川公民館付近を会場に開催され、まと火や“通り踊り”などで見物客らが行く夏の夜を楽しみました。今年はあいにくの雨の影響で、公民館前の健康広場で行われる予定だった「ふるさとまつり」は合川体育館に会場を移して行われたものの、毎年恒例のイベントとあって、出演者、見物客とも例年並の人出でにぎわいました。
午後5時30分、合川太鼓保存会のメンバー・佐々木舞さん、後藤陽子さん2人による迫力ある呼太鼓でオープニング。続いてダイナミックな動きの郷土芸能「福田獅子舞」、華麗なバチ裁きの「合川太鼓」と続き、メインとなる「通り踊り」は婦人会・中学生250人の息もピッタリと合い、盛んな拍手を浴びていました。
まつりの終盤は、ゆかいな仮装で踊る「タント節」が観衆の笑いを誘い、また県内で活躍するバンド「ハローグットバイ」の歌謡ショーで会場は一段と盛り上がりました。
一方、阿仁川河川敷が会場となった「合川まと火」は、午後7時30分に中学生の手で点火されました。「万灯火(まとび)」は、古くから合川・下小阿仁地区や上小阿仁村で行われている春彼岸の伝統行事。「ダンボ」と呼ばれる布切れを丸めたものに灯油をしみこませ、日没を待って点火し、火文字などを浮かび上がらせて祖先を供養します。
「合川まと火」はこの伝統行事をお盆の時期に合わせて規模を大きくして開催しているもので、使われる「ダンボ」は、合川地区の全家庭で一個づつ作られ提供されます。
点火された火は『合川マトビ2005』という光の文字となって浮かび上がり、合川橋の上下流およそ2にわたって阿仁川の川面を赤く照らし出しました。また、回転式の“車まと火”が、幻想的な光景を一層引き立てていました。
《福田獅子舞》
1804年〜1818年の文化年間に、上小阿仁村大林から伝承され、若勢団を中心に五穀豊饒・悪魔払いを祈願し、獅子舞を神社に奉納し、現在は福田獅子舞保存会が、後継者の育成・保存と継承に努めており、平成5年には、合川町指定無形民俗文化財に指定されています。
《合川太鼓》
平成元年6月、合川町で県連主催の和太鼓講習会が行われたのをきっかけに、同年8月の生涯学習講座の中で合川太鼓として発足しました。大曲太鼓道場、現在、秋田県太鼓連盟専務理事、鈴木孝喜先生の指導により、合川囃子を修得し、その後、合川太鼓保存会として住民とのふれあい、地域の活性化をめざして活動しています。
《通り踊り》
合川中女子生徒、婦人会など約250人の皆さんで踊る通り踊りは、大勢にもかかわらず息のピッタリとあった踊りです。合川ふるさと音頭、合川まとび音頭にあわせ、まと火をイメージした、先が赤い棒を鮮やかに操ります。
《合川まと火》
「まと火」は古く奈良時代から行われていた記録があり、灯明(とうみょう)は煩悩(ぼんのう)の闇を照らす仏の知恵に例えられ、仏前にともすことは香をたいたり、花を献じたりするとともに功徳(くどく)のあるもので懺悔(ざんげ)、滅罪(めつざい)となるとされています。
合川では、古くから下小阿仁地域を中心に、春彼岸の中日の伝統行事として、墓地に灯かりをともすとともに、山の尾根づたいや沢づたい、あるいは川原にたいまつを灯し先祖の霊を我が家に迎えてもてなし、供養とともに豊年満作、家内安全を祈ってきたと言われています。
このまと火を更に継承発展させ、人々がふるさとに帰省するお盆の14日夜に阿仁川堤防に延々と灯かりをともし、先祖の供養と郷土愛を培う伝統行事として長く伝えていきます。また、まと火に使うダンポは合川住民総参加のもとに合川地区内全世帯で1個ずつ作られ、中学生の協力を得て阿仁川堤防約2に設置され点火されます。
《タント節》
タント節の由来は旧合川町の旧大野村、現在の東地区の辺りで月明かりの夜、若者達が藁打ち作業で歌った「わら打ち唄」が現在は酒席で歌われるようになったものです。1から10までの数え唄式のような語りで、本来ならば「イロハ口説き」といって非常に長いものです。このタント節は合川が発祥の地として知られていますが、後に縁があり仙北地方に伝えられたものとされています。
平成5年度から7年度にかけて行われた合川町商工会「中小企業活性化事業」実施の際に、伝統・伝承文化の掘り起こしとして、この「タント節」を取り上げたことをきっかけに、ふるさと祭りのイベントの1つとして披露されます。