2006年10月15日
コンテンツ番号4724
北の縄文文化回廊フォーラム「ストーンサークルとマツリ」〜伊勢堂岱遺跡を中心に、
北東北の縄文文化について探る「北の縄文文化回廊フォーラム『ストーンサークルとマツリ』〜伊勢堂岱遺跡をめぐって」が15日、市交流センターで開催され、参加した考古学ファンらが、伊勢堂岱遺跡を中心とした縄文遺跡についての講演やパネルディスカッションなどで縄文文化について研さんを深めました。
「北の縄文文化回廊」とは、北東北・北海道で花開いた独自の縄文文化を担った人たちの交流や地域間のネットワークなどを「回廊」=建物をつなぐ廊下=と呼んで、この文化をわかりやすく表そうとした言葉。秋田県と北海道、青森県、岩手県では、互いに連携し、この広域文化を内外にPRするため様々な事業を展開、このフォーラムもその一環として開催されたものです。
開会行事では、秋田県生涯学習課文化財保護室の大野憲司室長が、「『北の縄文文化回廊事業』は、北東北と北海道に特徴的な縄文文化のPRなどで、地域のにぎわいを創出することをねらいとしている。今日の講演とパネルディスカッションを通じて、この地域には豊かな文化があったことを感じとっていただければ幸い」などとあいさつ、この後、専門家による講演、市内の縄文遺跡を発掘調査している市と県の担当者の報告、パネルディスカッションなどが行われました。
講演は、縄文文化を研究されている盛岡大学の熊谷常正教授と、弘前大学亀ヶ岡文化研究センターの藤沼邦彦教授を講師に行われました。「北のストーンサークル」と題した熊谷教授の講演では、「伊勢堂岱遺跡のストーンサークルが作られた縄文後期前半は、大規模な集落が解体し、山間の小集落が増加、集落と墓地の文化も進んだが、それ以前の縄文中期には、環状集落が発展し、大型住居が建設されている。つまり、約4千年前にはじまる縄文後期は、新たな社会組織が形成された時代であった」と指摘。
また、「敷石住居」と呼ばれる建物の中に石を敷き詰めた住居の構造は、その後作られるようになる環状列石の構造と共通点を有するが、この敷石住居などの配石は、関東甲信越をはじめ東日本全体で見られるもので、必ずしも東北地方北部だけに見られるものではない、といった環状列石成立の成り立ちなどについて自説を述べていました。
「ストーンサークルとマツリの道具」と題した藤沼教授の講演では、縄文遺跡から出土した祭祀や生活に使われた土器類などを紹介した上で、▽縄文時代が1万年もの間続いたのは、縄文人が安定した小さな社会を持続させるため、農耕などで食料を生産する道をとらず、狩猟を基本に消費する社会を形成したため▽ストーンサークルは、労働や祭りという「消費」のための施設だった▽余剰生産物を持たず豊かな自然に身をまかせ、ゆったりと生活した▽遺跡から出土しているような優れた工芸品や記念物をつくり、祭りなどで精神を高揚させていたのではないか、と説いていました。
この後、遺跡の調査報告に続いて会場の参加者を交えてのパネルディスカッションが行われ、各地のストーンサークルの特徴や成り立ち、考古学を中心とする縄文文化の研究方法など、熱い意見交換が行われました。
(2006.10.15)