2006年07月15日
コンテンツ番号4570
八幡宮綴子神社例大祭
通称「大太鼓祭り」と呼ばれている八幡宮綴子神社(武内朋子宮司)の例大祭が7月14日(金)と15日の2日間、同地区で行われ、直径3.80mの大太鼓をはじめ、数張りの大太鼓、また獅子踊りや奴踊りなどの郷土芸能が同神社に奉納されました。
お祭りは、今から約七百年前の弘長2年(西暦1262年)ころから始まったと伝えられています。当時の綴子村は灌漑用水の不足に悩んでいました。そのため雨乞いの神事として天に届くような大きな音を轟かせる大きな太鼓が作られ、明治の末期にはすでに直径6尺(1.8メートル)ほどであったといわれています。
神社への奉納行事はかつて、上町・下町両集落が合同で行っていましたが、奉納の先陣争いを張りあい、けが人が出るほどでした。そのため昭和のはじめからは、両集落が一年交代で奉納することになり、今度は太鼓の大きさを競い合うようになりました。昭和6年には上町の太鼓は直径2.16m、下町が2.10mでしたが、以後交互に新調、改造を行ない、現在では両集落とも直径が4m近い巨大なものになっています。
今年の当番町は上町。上町の大太鼓は最も大きなものが直径3.80m、二番目に大きなものでも3.30mあります。 また、奉納は出陣行列の形式で行われており、地区内の上町(うえまち)と下町(したまち)の2つの集落が徳川方と豊臣方に別れて1年交代で奉納を行います。
本祭りの15日は、「ヤツパリ」といわれる棒術の使い手を先頭に100人あまりの出陣行列が集落内を午前11時過ぎに出発、3張りの大太鼓を打ち鳴らしながら綴子神社に向かい、地元の人たちや観光客が見守る境内で奉納行事を行いました。最近では、首都圏などからお祭りを見るため綴子を訪れる人たちも多く、初めて見る巨大な大太鼓に驚いたようす。太鼓を背景に記念撮影をする人など、盛んにシャッターを切っていました。
境内では、出陣一行を取り仕切る太夫の口上で始まり、勇壮な獅子踊りが奉納行事の口火を切りました。獅子踊りは、頭に獅子頭をつけた装束で小太鼓を打ち鳴らしながら3人で踊ります。上町の獅子踊りは親獅子の子獅子探しの所作を演じているといわれます。境内の中を激しく動き回る踊りは、体力の消耗も激しく、15分ほどの演技が終わると、見物客らも大きな拍手を送っていました。
続いて、子ども会女子による大太鼓音頭や男の子7人による奴踊りかわいらしさで観衆の目を引くと、トリを取った青年会の奴が軽快な所作で幾つもの演目を鮮やかに決め、満場の拍手を受けていました。
この後、各芸能は集落内の数カ所で披露され、伝統の演技にたくさんのお花(寄付)が上がっていました。
また、奉納行事の前に神社境内で行われた作占い「湯立ての神事」では、今年の作況は「平年作以上」とのご託宣が出ています。
(2006.7.15)