2006年04月22日
コンテンツ番号4460
「高橋代大斗選手にエールを送る会」〜鷹巣農林高校
(2006.4.22)
ノルディックスキー複合の日本のエースとして世界で活躍している高橋大斗選手を励まそうと、4月22日(土)、同選手の母校・鷹巣農林高校(北林強※校長、生徒数306人)で「世界に翔(かけ)る高橋大斗選手にエールを送る会」が開かれました。(※「強」のつくりのうち「ム」は「口」)
この会は、同校の後輩や同窓会、教職員らが、2回目の冬季五輪出場となったトリノオリンピックやワールドカップなど世界の舞台での高橋選手の活躍を称え、さらなる活躍を目指してほしいと企画されたもので、多忙な高橋選手のスケジュールに合わせ、シーズン終了後のこの時期に開かれたものです。
会場となった同校体育館に集まった後輩たちや父兄、OBらの拍手で迎えられた高橋選手がステージに上がると、はじめに生徒代表が「オリンピックではテレビの前で一生懸命応援した。力強く飛ぶ姿やねばりのある走りはとても力強く、私たちも頑張ろうと思った。これから行われるワールドカップ、また4年後のバンクーバーオリンピックでは伊勢堂の杜に金メダルを持ってきてほしい」とあいさつ。
続く北林校長の高橋選手の紹介の後、同選手が講演し、スキーを始めたきっかけや、オリンピックに臨んだ感想などを紹介しました。
講演で高橋選手は、「スキーを始めたのは小学校2年生のとき。しかし、好きで始めたわけではなかった。親にスキー場に連れて行かれ、しぶしぶスキーをはいたのがきっかけ。始めてみたらおもしろくなり、どんどんはまっていった。地元で東北大会が開催された中学1年の終わり頃、アルペンから複合競技に転向した。転向は先輩に誘われたことが理由だが、その先輩は実は自分がジャンプを始めるまで実際には転向していなかった。きっかけなんてそんなものかもしれません」と、複合競技を始めるに至った経緯などを紹介。
また、トリノオリンピックに臨んだことに触れて「オリンピックはスポーツ最大の祭典。その分、プレッシャーも何倍もある。いつもプレッシャーから逃げようとするが、一つだけ自分に言い聞かせていることは『どんな大会や試合でもやることはいっしょ』ということ。それ以外のことは考えなかった」「オリンピックでの試合当日は腰を痛めたが、全力を尽くしたと思っている。一生懸命やることが光を見出すことにつながる。今でも、スキーをやめたら何が残るか不安だが、なんとかなるだろうと思って生きてきた。その場その場で一生懸命やることが大切」と、重圧のかかる世界の大舞台に臨んだ心境や心構えを紹介するとともに、後輩や同校関係者らの応援に感謝のことばを述べ、講演を終えました。
講演の後、後輩たちからいくつかの質問が出され、「自分は相撲部。今度大会があるが、勝つためにはどんな気持ちで臨んだらよいか」との質問には、「試合の結果はあくまでトレーニングの成果だと思う。自分を信じ、トレーニングすることが大切。それから、負けたからといって落ち込まないこと」。また、「スキー人生で一番うれしかったことは」との質問には、「ワールドカップで初めて道具をもらったとき。それに賞金を獲得したときかな」などと、後輩たちに答えていました。
この後、贈られた花束を手にした同選手に応援団が伝統の型でエール。最後には高橋選手も後輩たちと一緒に同校の校歌を歌い、会場を後にしました。
送る会の後、同校の応接室で記者会見が行われ、同選手は今年のワールドカップや来年の世界選手権で上位入賞を目指していること、特に世界選手権は同選手が所属している土屋ホームの地元・札幌市で開催されることから、「ぜひとも表彰台に立ちたい」などと抱負を語ってくれました。
高橋選手はこの後、阿仁の実家で過ごし、28日(金)に市中央公民館で開催される市体育協会主催の行事等に出席、29日の朝、札幌に帰る予定です。