2006年04月26日
コンテンツ番号4455
〜黒沢集落に残る家屋〜
(2006.4.26)
明治時代の政治家で、日本の公害の原点である足尾鉱毒事件で知られる田中正造(1841〜1913年)の記録映画製作のため、このほど北秋田市内に残る茅ぶきの家が資料映像として撮影されました。
この映画は、明治時代、栃木県の足尾銅山から流出した鉱毒が渡良瀬川とその流域の村に深刻な被害をもたらした「足尾鉱毒事件」の解決のために尽力し、波瀾に富んだ生涯を送った田中正造の生涯を描いたドキュメンタリー作品です(仮題「赤貧洗うがごとし〜田中正造と野に叫ぶ人々〜」)。
正造は、当時鉱毒の被害を受け、亡村の運命をたどることになる「谷中村(現在の栃木県下都賀郡藤岡町)」に入り村人とともに闘いましたが、闘いの象徴ともなった谷中村の廃村100年を記念し、製作されているものです。製作は、「田中正造を後世に伝える会」の佐々木斐佐夫会長などがメンバーとなっている「正造Shozo」製作委員会準備会。

池田博穂監督。昭和56年には映画「マタギ」のロケを本市(旧阿仁町)で行っている
監督は「ガラスのうさぎ」「マタギ」「東京大空襲」「オーロラの下で(日ソ合作)」「時代(とき)を 撃て・多喜二」などの作品に関わった大仙市(旧大曲市)出身の池田博穂(いけだひろお)監督(55)。池田監督は、「マタギ(1982年公開、後藤俊夫監督作品)」では、助監督として旧阿仁町などでロケを行っています。
映画は、田中正造と正造に関わる人々の写真や事件の跡地の実写、再現映像や解説のナレーションなどで構成され、この茅ぶきの家は、若き日の正造が、当時の江刺県(現在の岩手県)の行政区域に含まれていた今の鹿角市・花輪に役人として赴任していたときの住居のイメージとして撮影されたものです。
撮影に訪れたのは、池田監督のほか、助監督とカメラマンの3人。映画の撮影も終盤を迎えた4月12日、本市に入り、国道7号線の分岐点から10分ほどの黒沢集落に向いました。この家屋は、現在は空家になっている戦前に建設された建物。秋田県内でも屋根の茅と板材の外壁がそのまま残っている家屋は貴重になっています。特にこの家屋は、長い年月にわたり風雪に耐えてきた風情が疲弊した当時の村の姿や正造の暮らしをほうふつとさせることから選ばれたもので、およそ2時間ほどをかけてデジタルビデオカメラで撮影されました。
池田監督は、「正造は弱きもののため自らを顧みることなく前のめりに生きた。闘いを支えた農民たちも魅力的。明治という時代と人間・正造の実像をエンターテイメントで描きたい」と話していました。
映画は5月には完成し、9月から来年の2月にかけて上映される予定です。県内では、主に自主上映の形で上映されることになっています。お問合せは秋田県映画センター (TEL:018-862-9978)まで。
■田中正造を紹介するサイトはこちら
→不屈の田中正造伝‥花輪時代の正造についても詳しく触れられています