2006年01月21日
コンテンツ番号4354
~第1回北秋田市縄文シンポジウム~
本市の伊勢堂岱遺跡など、東北・北海道地区にある環状列石を持つ代表的な縄文遺跡について意見交換などを行う第1回北秋田市縄文シンポジウム「北東北・北海道の環状列石」が1月21日(土)、市文化会館で開かれ考古学ファンなどおよそ200人が各地の遺跡の現状報告や講演などに耳を傾けました。
このシンポジウムは平成9年1月、当時発掘調査が始まって間もない伊勢堂岱遺跡を全国にPRしようと始まったもので、旧鷹巣町として平成13年まで5回開催され、今回新市として第1回目の開催となりました。
伊勢堂岱遺跡は、あきた北空港の東側に位置する縄文時代後期前半(今から約4000年前)の遺跡。平成7年に大館能代空港のアクセス道路建設に先立つ発掘調査で発見されました。環状列石や配石遺構などが見つかり、大規模な祭礼の場ではないかと考えられています。遺存状態がよく学術的価値が高いことから、平成13年1月、国の史跡に指定されています。
東北・北海道には、有名な大湯ストーンサークルなど伊勢堂岱と同様環状列石を持つ遺跡がいくつかあります。今回のシンポジウムでは、これらの遺跡を調査している自治体から担当者を招き、発掘調査についての報告と講演、パネルディスカッションが行われました。
紹介された環状列石を持つ遺跡は、北海道森町の「鷲ノ木第5遺跡」、青森県青森市の「小牧野遺跡」、と平川市(旧平賀町)の「太師森遺跡」、鹿角市の「大湯環状列石」、そして本市の伊勢堂岱遺跡。また、森吉地区小又川流域に点在する森吉山ダム関連の遺跡群についても報告が行われました。
はじめに、市教育委員会の細田昌史主任学芸員が、「小又川流域の縄文時代〜森吉山ダム関連遺跡を中心に〜」と題して本市の森吉山ダム関連の遺跡「二重鳥(ふたえどり)遺跡(旧石器時代)」や縄文後期に属する「日廻岱(ひまわしたい)遺跡」、縄文晩期の「向様田(むかいさまだ)遺跡」などを時代を追って説明。
これらの遺跡から出土した土器や石器は、広く東北や北海道の多くの遺跡から出土したものと大きな違いはなく、生活に共通する文化や情報を共有していたことが推測される、と指摘。その具体的な例としてやじりなどに使われた黒曜石は深浦や男鹿、月山、また装飾品として加工された翡翠(ひすい)は新潟県姫川、琥珀(こはく)は岩手県久慈市など、原産地が限定されているものも出土していることなどを紹介しました。
続いて、鷲ノ木5遺跡(北海道森町)では遺跡全体が火山灰に覆われていたため、保存状態が良好だったこと、また、小牧野遺跡(青森市)では環状列石を形作る石がどのように現場に持ち込まれたか、ソリや背負子で実際に石を運搬し検証してみたようすがビデオで紹介され、それぞれの遺跡担当者からの興味深い発表に参加者らは真剣に聴き入っていました。
また、本市の国指定史跡「伊勢堂岱遺跡」については、榎本剛治学芸員が平成7年発見当時から最近の4つ目の環状列石が発掘調査されるまでを紹介、石組みや土器・石器などは出土するものの、この遺跡を利用した縄文人の住居跡が発見されていないことなどから、将来にわたり、計画的な調査が必要であることなどを報告しました。
各遺跡の報告の後、伊勢堂岱遺跡調査指導委員会の委員長なども務める縄文文化研究の第一人者・國學院大学の小林達雄教授による「人間史の中の環状列石」と題した講演が行われました(→講演の要旨はこちら)。小林教授は、「環状列石を含め、遺跡の成り立ちや作られるまでの過程を知ることは、縄文人の『こころ』を知ること」などと環状列石が縄文人の精神世界を解く鍵となることを述べていました。
この後、元県立博物館長の冨樫泰時氏を進行役に各遺跡の担当者によるパネルディスカッションが行われ、各遺跡の現状やこれからの調査活動などについて活発な意見交換が行われました。また、会場の参加者からも「秋分の日の日没の方向との関係を確かめたことがある」との報告も紹介され、聴講者にとっても、環状列石や縄文文化への関心を高めたシンポジウムとなりました。