2007年12月26日
コンテンツ番号4309
白津山正法院「丈六延命地蔵菩薩像」
(2007.12.26)
老朽化で破損が進んだことから専門家による修復が行われている通称「鎌沢の大仏」の化粧なおしが終盤を迎え、年末の竣工を前に仕上げ作業が進んでいます。
この大仏は、合川・鎌沢の名刹「白津山正法院(しろつさんしょうぼういん 清水忠道住職)」に安置され、市の文化財にも指定されている木造の仏像。高さが4・82m(一丈六尺=4.84m)あることから、正式には「丈六延命地蔵菩薩像」と呼ばれ、木彫りで多くの木を寄せ集めて作る「寄木づくり」と呼ばれる技法で作られています。
頭部と胴体が別々に作られており、頭部の製作者は鎌倉時代の大仏師・運慶の正統三十代を継いだ京都の仏師・蔵之丞了慶、胴体は蔵之丞の弟子で同院の第7世悟山忍州和尚が村人の浄財をもとに製作したと言われています。
大仏は古くから「汗かき地蔵」「弾丸(たま)よけ地蔵」と呼ばれ、信仰を集めてきました。これは、天明や天保などの飢饉で疫病が発生し多くの死者が出た際、村人が大仏に祈りをささげると、大仏がこれに応えるように汗を流し、祈った人々は誰一人疫病にかからなかった、といわれていること、また、戦争中出征前に大仏にお参りした人たちは、無事に戦地から帰ることができた、といわれていることがその由来となっています。
仏像を安置していた旧大仏殿は、文政3年(1820年)の建築。築後180年以上が経過し、老朽化が進んだことから、同寺院の開祖350年を記念し改築が計画され、今年10月に完成しました。
一方仏像本体も虫食いで穴が空いたり表面の漆が剥がれ落ちるなど破損が著しく、大仏殿の改築を機会に修復されることになり、2年前の平成17年11月に静岡県島田市の仏師工房に運ばれ、修理が続けられていました。
修復を担当したのは、島田市の文化財保護審議委員も務められている仏師の杉浦瑞慶(ずいけい)さん(59)。息子の崇芳(たかよし)さん(23)とともに、「これだけの仏像の修復を手がける機会はあまりない。ぜひ担当したかった」というこの大仏を8つに解体して運搬し、根気のいる修復作業に取りかかりました。
杉浦さんによると、細かく分けると70から80にもなる各パーツの破損状態を分析、虫食い跡や以前に行われたと見られる修復で削られ狂っている部分に木材を継ぎ足し、また樹脂で埋めます。次に、ステンレス製のかすがいで内側からパーツをつなぎ合わせます。また表面には、金泊の代用品・銅粉が塗られていたそうですが、この古い塗装をいったん剥いだ後、麻布を張った上に顔料のベンガラやにかわを使った下地塗装を行い、金箔や漆などによる仕上げを行う、といった何段階にもなる地道な工程だそうです。
解体・修復の過程では、空洞の胴体の中に安置されていた小さな仏像が発見され、また、胴体はカツラ、頭部はマツと言われていた大仏の素材は、頭部がクスノキであることもわかりました。
こうして胴体、頭部、手足などの大きなパーツが杉浦さんの工房で完成、改築された大仏殿に運び込まれ、組み立てと細部の塗装など仕上げ作業が行われていたもので、手に持つ錫杖(しゃくじょう=杖)の据え付けなどを残すのみとなっています。
大仏はまだ工事用のやぐらに囲まれていますが、頭部と胴体の一部が金箔に覆われ、錆色の袈裟を着た威容は壮観です。大仏の修復にかかった費用は約1,500万円。また、床面積120、高さ10m、総ヒバづくりの大仏殿改築には7,350万円が投じられたそうです。修復完成を祝う落慶法要は、来年6月24日に開かれる恒例の大仏祭典で行われるそうですが、清水住職は、「年末までには修復工事を終える予定。完成後はいつでも気軽に拝観においでください」と呼びかけています。
白津山正法院の所在地は北秋田市鎌沢(かまのさわ)字南の家45。県道川井堂川線(24号線)芹沢バイパス沿いの鎌沢集落内。JR鷹ノ巣駅から車で20分、大館能代空港から15分ほどです。
お問い合わせ先
北秋田市教育委員会生涯学習課
TEL:0186-62-6618
北秋田市産業部商工観光課
TEL:0186-62-6639
※市役所は、年末年始(12/29-1/3)は休業となります
白津山正法院
TEL:0186-78-2022