2007年08月14日
コンテンツ番号4183
郷土芸能、盆踊などで祖先を供養
(2007.8.14)
13日から各地区・集落で行われているお盆行事。各芸能を伝承する保存会では、地区住民や帰省客の楽しみとして、また祖先の霊を慰めるためにそれぞれ個性的な演目を演じ、また神社やお寺に奉納することで、今年の豊作と家内安全などを祈願します。
13日には、前山(鷹巣地区)、李岱・川井(合川地区)、米内沢・本城・浦田・阿仁前田・(森吉地区)、荒瀬(阿仁地区)、で地区伝統の奴踊りや獅子・駒踊りなどが行われました。また14日には今泉・坊沢(鷹巣地区)、阿仁根子・比立内(阿仁地区)で駒踊り・獅子踊り・番楽が披露されたほか、合川ではお盆イベント「合川まとび」と「合川ふるさと祭り」が開催されました。
阿仁前田獅子踊り
慶長7年(1602年)、佐竹義宣(よしのぶ)が水戸から秋田に国替えを命ぜられた折、主君を慰めると同時に家臣に志気を鼓舞するために演じられた道中芸が始まりと言われています。 行列は、参勤交代行列をまねたもので格式があります。 雄獅子、中獅子、雌獅子は、五穀豊穣と獅子たちの恋の葛藤を表現しています。 エネルギッシュな駒踊り、太鼓に合せて神楽も演じられます。
毎年8月13日の夜、森吉町阿仁前田字八幡森の庄司家前、国道105号線沿いの「四季美館」前、前田小学校前で演じられます。また、8月7日阿仁前田中川原河川敷で行われる「森吉山麓たなばた火まつり」の中でも、演じられています。秋田県無形民俗文化財に指定。
坊沢獅子踊り
坊沢獅子踊りは、藩政時代の今から300年前、お盆になると村の若勢たちが集まり、「厄除け獅子」を主体に大名行列の姿を真似た奴踊りを演じたことが始まりと言われています。
しかし、享保10年(1725年)に起きた通称「五義民」事件で犠牲になった5人の義民の霊を憐れみ慰めるために、その墓前でも演じるようになったとも言われています。
上演の構成は奴踊り(ぶっ込み、廻り扇奴、あや奴など)、獅子踊り、棒使い。14日は、炎天下、午後2時の永安寺での披露を皮切りに、集落内数カ所を巡り、午後7時30分に集落の端に建立されている五義碑の前で踊り、締めくくりました。
今泉駒踊り
北秋田地方で演じられる「駒踊り」の由来はほぼ共通しており、今泉駒踊りも、阿仁前田や市内各地区の駒踊り同様、藩政時代佐竹藩主の巡遊を慰めるために踊られたものだと伝えられています。
踊りは勇壮な武将と騎馬の姿を武芸的に表現したもので、踊り手は馬枠に馬頭を付け、鎧、鉢巻き姿で舞います。保存会の会長は簾内文雄氏。今年も踊り手には高校・大学生、旗持ちなどには帰省した女子短大生も参加、集落内の数カ所で披露しました。
根子番楽
根子番楽は古くから同集落に伝えられ、現在は保存会や子ども会によって保存・継承されている民俗芸能。古来の神楽や能楽に起源を持つとも言われ、歴史的・芸術的に価値の高いことから、昭和39年には秋田県無形民俗文化財に、平成16年には国の重要無形民俗文化財に指定されています。
今年も、集落の住民をはじめ、遠くは岩手県などから訪れた約150人の観衆が舞台(阿仁公民館根子分館=旧根子小学校体育館)を見守り、由緒ある芸能を堪能しました。
市民盆踊大会(鷹巣盆踊り)
鷹巣の盆踊りは慶応年間(1865〜)、鷹巣村の商人らが商売繁盛と豊作を祈願して踊ったのが始まりで、商店主たちが仮装を凝らして奉公人に混じって踊ったのが好評を博し、その後は農村部からも大勢参加するようになったと言われています。
現在では、14日と15日の2日間、帰省客なども参加し、踊りの輪を繰り広げます。仮装した踊り手も多く参加します。14日は約300人が参加、最後は、各商店から寄付された盛りだくさんの賞品の抽選会で一喜一憂していました。
慶応年間が起源の鷹巣盆踊り。仮装を凝らす伝統は今でも受け継がれ、今年も西音馬内盆踊り風の衣装などで参加したユニークな踊り手やわか杉国体のキャラクターのスギッチなどが目を引いていました