2007年08月14日
コンテンツ番号4182
第36回合川まと火・第27回合川ふるさとまつり
(2007.8.14)
第36回合川まと火、第27回合川ふるさとまつりが8月14日、合川橋付近と合川公民館付近を会場に開催され、「まと火」や「通り踊り」、「歌謡ショー」などで見物客らが行く夏の夜を楽しみました。
オープニングで佐藤副市長が「北秋田市が誕生して3年目。まだまだ景気回復が厳しい中、合川まと火・合川ふるさとまつりの開催は、地域に活力を与え、間もなく始まる秋田わか杉国体開催の盛り上がりに大きな役割を果たすものと期待している。 市民の皆様をはじめ、ふるさとへ帰られた方、まと火・ふるさとまつりをどうぞ楽しんで」とあいさつ。
ふるさとまつりは、午後5時アマチュアバンドの演奏で始まり、続いて合川太鼓保存会の後藤義典さんの迫力ある呼太鼓と続き、メインとなる「通り踊り」は、婦人会・合川中生徒250人の華麗な踊りに、盛んな拍手が送られていました。
まつりの終盤では、ゆかいな仮装で踊る「タント節」が観衆の笑いを誘い、秋田市で活躍するシンガーソングライターのナナさんと、郷ひろみのモノマネ日本一と称されるHiBiKi(ひびき)さんの歌謡ショーで会場は一段と盛り上がりました。
一方、阿仁川堤防が会場となった「合川まと火」は、午後7時30分に中学生の手で点火され、合川橋を挟み堤防約2にわたり炎の列でかたどられたラインや文字が浮び上がりました。川面に写るまと火は幻想的な光景を一層引き立てていました。また、今回の仕掛けまと火には、秋田わか杉国体のマスコット「スギッチ」を型取った「まと火スギッチ」が登場し、合川橋から記念撮影する人が多く見られました。
「万灯火(まとび)」は、古くから合川・下小阿仁地区や上小阿仁村で行われている春彼岸の伝統行事。「ダンボ」と呼ばれる布切れを丸めたものに灯油をしみこませ、日没を待って点火し、火文字などを浮かび上がらせて祖先を供養します。「合川まと火」はこの伝統行事をお盆の時期に合わせて規模を大きくして開催しているもので、使われる「ダンボ」は、合川地区の全家庭で一個づつ作られ提供されます。
《合川太鼓》
平成元年6月、合川町で県連主催の和太鼓講習会が行われたのをきっかけに、同年8月の生涯学習講座の中で合川太鼓として発足しました。大曲太鼓道場、現在、秋田県太鼓連盟専務理事、鈴木孝喜氏の指導により、合川囃子を修得し、その後、合川太鼓保存会として住民とのふれあい、地域の活性化をめざして活動しています。
《通り踊り》
合川中学校の女子生徒、婦人会など約250人で踊る通り踊りは、大勢にもかかわらず息のピッタリとあった踊りです。合川ふるさと音頭、合川まとび音頭にあわせ、まと火をイメージした先が赤い棒を鮮やかに操ります。
《合川まと火》
「まと火」は古く奈良時代から行われていた記録があり、灯明(とうみょう)は煩悩(ぼんのう)の闇を照らす仏の知恵に例えられ、仏前にともすことは香をたいたり、花を献じたりするとともに功徳(くどく)のあるもので懺悔(ざんげ)、滅罪(めつざい)となるとされています。
合川では、古くから下小阿仁地域を中心に、春彼岸の中日の伝統行事として、墓地に灯かりをともすとともに、山の尾根づたいや沢づたい、あるいは川原にたいまつを灯し先祖の霊を我が家に迎えてもてなし、供養とともに豊年満作、家内安全を祈ってきたと言われています。
そして、このまと火を更に継承発展させ、人々がふるさとに帰省するお盆の14日夜に阿仁川堤防に 延々と灯かりをともし、先祖の供養と郷土愛を培う伝統行事として長く伝えていきます。また、まと火に使うダンポは合川住民総参加のもとに合川地区内全世帯で1個ずつ作られ、中学生の協力を得て阿仁川堤防約2に設置され点火されます。
《タント節》
タント節の由来は旧合川町の旧大野村、現在の東地区の辺りで月明かりの夜、若者達が藁打ち作業で歌った「わら打ち唄」が現在は酒席で歌われるようになったものです。1から10までの数え唄式のような語りで、本来ならば「イロハ口説き」といって非常に長いものです。
このタント節は合川が発祥の地として知られていますが、後に縁があり仙北地方に伝えられたものとされています。そして、平成5年度から7年度にかけて行われた合川町商工会「中小企業活性化事業」実施の際に、伝統・伝承文化の掘り起こしとして、この「タント節」を取り上げたことをきっかけに、ふるさと祭りのイベントの1つとして披露されます。