2007年08月24日
コンテンツ番号9702
日韓両政府の合同調査団が福寿寺(小又)で
(2007.8.24)
厚生労働省、外務省及び韓国政府は8月24日、北秋田市小又の福寿寺(奥山謹英住職)において60数年にわたり安置されていた朝鮮半島・韓国出身と思われる遺骨2体の身元を確認するための、合同の実地調査を行いました。
この調査は、2004年12月の日韓首脳会談上、韓国大統領から首相に対して、第二次世界大戦中に日本の民間企業に徴用されるなどした後に死亡した朝鮮半島出身者の遺骨の返還を要求したのを機に、日韓の政府間協議を経て調査・返還の合意に達し、両政府のもとで昨年から始められたものです。
日本政府では、韓国との合意後、全国の自治体や仏教系の宗教団体などに関連する情報の提供を求めていましたが、昨年11月までで1,720体の遺骨の所在に関する情報が寄せられいました。これらの情報をもとに、全国各地での実地調査は昨年の8月に始まり、 今回の福寿寺での調査は全国で7回目にあたって、東北地方では副島県、山形県に続いて3番目となります。
この日、福寿寺を訪れた調査団は厚生労働省と外務省の職員、駐日韓国大使館の職員ら4人。団長を務める厚生労働省人道調査室長・遠藤雅仁氏が調査開始に当たってのあいさつを述べた後、本堂においてこれまで安置されていた2体の遺骨の確認が念入りに行われました。
確認作業の後、調査団は報道関係者らに▽遺骨は2体で男性と女性が1体ずつ▽名前、本籍地、死亡年月日、死亡時年齢が判明した。男性は死亡が1942年で享年29歳。女性は1943年に死亡、享年13歳で、父親の本名、日本名が判明▽2体とも福寿寺で葬儀を行い、その後も供養されている▽男性は、福寿寺の資料によれば寺院近くの砕渕(じゃきぶち=地名)で死亡したとのことである。砕渕には当時、朝鮮半島出身者の集落があったとの情報もあるが、これらとの関連は確証はない、などとする調査の概要を発表しました。
今回の調査は、前述のとおり政府の依頼を受けた曹洞宗教団の情報提供をもとに行われたものですが、今後の流れとしては、確認を得た情報で韓国政府が自国で遺族調査を行うこととなっています。日本政府も必要な補完調査を続けていくとして、両国政府による遺骨の返還に向けた活動は、今後も長く続けられることとなりそうです。