2007年07月15日
コンテンツ番号9754
八幡宮綴子神社例大祭
(2007.7.15)
通称「大太鼓祭り」と呼ばれている八幡宮綴子神社(武内尊英宮司)の例大祭が7月14日(土)と15日(日)の2日間、同地区で行われ、直径3.71mの大太鼓をはじめ、3張りの大太鼓、また獅子踊りや奴踊りなどの郷土芸能が同神社に奉納されました。
お祭りは、今から約七百年前の弘長2年(西暦1262年)ころから始まったと伝えられています。当時の綴子村は灌漑用水の不足に悩んでいました。そのため雨乞いの神事として天に届くような大きな音を轟かせる大きな太鼓が作られ、明治の末期にはすでに直径6尺(1.8メートル)ほどであったといわれています。
神社への奉納行事はかつて、上町(うえまち)・下町(したまち)両集落が合同で行っていましたが、奉納の先陣争いを張りあい、けが人が出るほどでした。そのため昭和のはじめからは、両集落が一年交代で奉納することになり、今度は太鼓の大きさを競い合うようになりました。昭和6年には下町が2.10mで上町の太鼓は直径2.16mでしたが、以後交互に新調・改造を行ない、現在では両集落とも直径が4m近い巨大なものになっています。
今年の当番町は下町。下町の大太鼓は最も大きなものが直径3.71mで昭和61年、世界一大きな和太鼓としてギネスブックで認定されました。また2番目に大きなものでも3.18mあります。 また、奉納は出陣行列の形式で行われており、上町・下町両町が徳川方と豊臣方に別れて1年交代で奉納を行います。
本祭りの15日は、取り仕切り役の太夫と「ヤツパリ」といわれる棒術の使い手を先頭に100人あまりの出陣行列が大太鼓の館向いの綴子基幹集落センターを午前11時過ぎに出発、3張りの大太鼓を打ち鳴らしながら綴子神社に向かい、地元の人たちや観光客が見守る境内で奉納行事を行いました。最近では、県外から訪れる観光客も多く、初めて見る巨大な大太鼓に驚いたようす。太鼓を背景に記念撮影をする人など、盛んにシャッターを切っていました。
境内では、太夫の口上で始まり、子どもと大人による勇壮な獅子踊りが奉納行事の口火を切りました。獅子踊りは、頭に獅子頭をつけた装束で小太鼓を打ち鳴らしながら3人で踊ります。境内の中を激しく動き回る踊りは、体力の消耗も激しく、10分ほどの演技が終わると、見物客らも大きな拍手を送っていました。
続いて、子ども会による奴踊りがかわいらしさで観衆の目を引くと、トリを取った青年会の奴が軽快な所作で幾つもの演目を鮮やかに決め、満場の拍手を受けていました。
神社境内での奉納儀式のあと、各芸能は集落内の数カ所で披露され、伝統の演技にたくさんのお花(寄付)が上がっていました。
また、奉納行事の前に神社境内で行われたのが作占いの「湯立ての神事」。大鍋にお湯を沸騰させ、神職や氏子がワラの束でかきまわして立つ湯のしぶきの加減で作物の作況を判断します。武内宮司によると今年の作況は「平年作以上」とのご託宣。特に風を表すお湯の立ち具合が強く、「風に気をつけて水田の管理を。また人の場合は健康に十分留意を」と占いの結果を説明していました。