2008年07月15日
コンテンツ番号2282
先人の功績が刻まれた顕彰碑がふるさとの地に移設
(2008.7.15)
秋田県の畜産業ほか、七日市村の肝煎、村長として産業振興と教育などにも多大な功績を残した長岐貞治(肖像画)
秋田県畜産の先駆者として功績を残した七日市長岐家の11代目長岐貞治氏の顕彰碑が、旧河辺町より七日市の長岐邸庭園に移設され、7月15日に同庭園で顕彰碑移設記念式典が行われました。
この顕彰碑は、明治45年4月に県畜産牛馬組合長伊藤恭之助が、組合事務所があった秋田市寺内に長岐氏の功労を称え顕彰碑を建立しました。その後、昭和19年に組合事務所の移転とともに秋田市千秋公園内に移設され、さらに昭和49年に旧河辺町の県畜産連市場入口に移設されました。顕彰碑の碑文には、長岐氏の畜産会における功績が537文字に渡って刻まれています。
顕彰碑の移転については、平成16年に七日市地区懇談会で旧鷹巣町内への移転の意見が挙がり、平成19年11月に第1回長岐貞治顕彰碑移設実行委員会が開催され、協議により長岐邸への移設が適当と決定しました。その後、同年12月に長岐邸庭園に移設が行われました。
記念式典には、長岐家代表の栗林悦子さん(秋田市在住)、秋田県畜産農業協同組合連合会の加藤義康代表理事会長ほか畜産関係者、鈴木茂雄・市議会議員、移設実行委員会の成田節治・顕彰碑移設実行委員長ほか移設事業に関わった方々、地元七日市地区住民など約30人が出席。
はじめに成田節治委員長が、「明治45年に建立されて3度の移転となる。私も平成10年に旧河辺町で初めて見たが、長岐翁の偉大な功績を改めて実感した。皆さんの協力のおかげで移設することができ、深く感謝申し上げる。文化財として歴史を学ぶ場として活用されることを願っている」などとあいさつ。
代表者によって記念碑の除幕がおこなわれた後、長岐家代表の栗原悦子さんは、「親族の間でも顕彰碑のことはずっと気にかかっていた。皆さんのご尽力のおかげで、無事に安住の地に移設していただき親族も安心しており、大変ありがたく思っております」と感謝のことばを伝えました。
記念式典の後、顕彰碑移設実行委員で郷土史を研究されている鈴木敏雄さん(74)が、「長岐貞治の功績について」と題し講話を行い、出席者らが偉大な先人の話に耳を傾けました。
鈴木さんは、自作の年表で貞治の生涯を説明。特に明治13年に山林原野法が改正され、それまで藩有林だった山林が官林(国有林)に編入された以降の貞治の功績について「ぜひ知っておいてほしい」と紹介します。
藩政時代から明治初期にかけて、現在国有林となっている秋田の山林は秋田藩が管理する「御留山」で村人による伐採や利用が厳しく制限されていました。しかし、佐竹藩は植林を進めるため林政改革を実施し、藩と各村々との分収契約によって一部の立木の伐採、財産としての利用も許されることとなり、当時の七日市村でも大きな財源の一つになっていました。
しかし、法改正後は国の財産となったため分収権は剥奪され、山林からは一切収益をあげることができなくなりした。明治32年、国有林下げ戻し法が施行され、分収契約や植樹の記録などが確認できれば払い下げの許可を受けることができましたが、書類の多くは国に取り上げられており、行政訴訟をしても多くは許可を受けることができませんでした。秋田県で許可が下りたのは853件の申請のうち14、5件、面積にして5%程度だったといいます。
貞治は代々の記録を見つけ出すと、行政訴訟を起こして何度も裁判所に赴き、明治35年にようやく奥見内沢国有林の下げ戻しが許可され、能代挽(ひき)材合資会社(後の秋田木材株式会社)に立木15万本を売却し、現在の価値に換算すると10億円近いともいわれる売却益を得ました。また能代挽材もこの取引をきっかけに大きな利益を上げ、40年には秋田木材株式会社を創業することになります。
貞治は37年に亡くなりますが、後の村長らは貞治の意志を引き継ぎ、こうして築かれた財産を村の産業振興、教育など地域のために役立てました。明治41年に七日市村に設立された郡立農林学校(現在の県立鷹巣農林高校)も、貞治が生前から誘致活動を行っていた教育機関。村では建設にあたって設立基金と中の岱の敷地を寄付、大正2年に県立農林学校として鷹巣町に移転するまで全国唯一の農林業教育を中心とする実業学校として名声をはせました。
鈴木さんはこのような、地域に献身した貞治の生涯を紹介するとともに、現在は鷹巣南小学校の会議室の片隅に置かれている、七日市村の寄付に対して内閣府から金杯を下賜する旨の賞状を、「貞治の業績を地域の人に知ってもらうために、公民館などに展示してはどうか」などと、提言していました。
貞治の出た長岐家は藩政時代初期から代々肝煎を務めた家柄。慶長年間に実施された検地資料「桧内小猿部之内七日市村御検地帳」や、藩主の領内巡検の記録「御渡野御用日記」など貴重な資料1529点が県立公文書館に所蔵されているほか、市教育委員会でも資料の一部を保管しています。