2008年06月24日
コンテンツ番号2010
「鎌沢の大仏」修復完成を祝う
(2008.6.24)
合川鎌沢の名刹・曹洞宗白津山正法院(清水忠道住職)で6月24日、このほど完成した大仏殿と修復された通称「鎌沢の大仏」の落慶式が恒例の地蔵祭りと合わせて行われ、檀信徒らが待望の完成を祝いました。
大仏は、市の有形文化財にも指定されている木造の仏像。高さが4・82m(一丈六尺=4.84m)あることから、正式には「丈六延命地蔵菩薩像(じょうろくえんめいじぞうぼさつぞう)」と呼ばれています。
頭部と胴体は別々に作られており、頭部は藩政時代中期の延享2年(1745年)に、鎌倉時代の大仏師・運慶の正統三十代を継いだ京都の仏師・蔵之丞了慶が制作し、胴体はその後、蔵之丞の弟子で同院の第7世悟山忍州和尚が村人の浄財をもとに作ったと言われています。木造の半迦地蔵尊像では県内最大。
大仏は古くから「汗かき地蔵」「弾丸(たま)よけ地蔵」と呼ばれ、信仰を集めてきました。これは、天明や天保などの飢饉で疫病が発生し多くの死者が出た際、村人が大仏に祈りをささげると、大仏がこれに応えるように汗を流し、祈った人々は誰一人疫病にかからなかった、といわれていること、また、戦争中出征前に大仏にお参りした人たちは、無事に戦地から帰ることができた、といわれていることがその由来となっています。
しかし、虫食いで穴が空いたり表面の漆が剥がれ落ちるなど時代とともに傷みが激しくなったため、平成17年11月に静岡県島田市の仏師工房に運ばれ、この5月、修復が完成しました。化粧直しされた大仏は、衣の部分は漆などの塗料、頭部や手足は金箔で仕上げられ、260年前に作られた当時の姿が再現されました。
仏像を安置していた旧大仏殿は、文政3年(1820年)の建築。築後180年以上が経過し、老朽化が進んだことから、同寺院の開祖350年を記念し大仏の修復と合わせて改築が計画され、昨年4月着工、同年10月に完成しました。
建物は総ヒバ作りの平屋建てで建築面積が約211、大仏修復、敷地造成などを含めた総事業費は約9500万円。檀信徒の協賛金ほか一般寄付、市補助金(大仏修復)などで賄われました。
式には、曹洞宗の僧りょ70人あまりをはじめ、檀信徒、関係者ら約330人が参列、法要のほか、協力者への感謝状贈呈などが行われ、落成と修復完了を喜び合いました。