2008年02月16日
コンテンツ番号5197
白川好光氏、家庭教育講演会「生きてこそ今」
阿仁荒瀬出身の会社経営者・白川好光(しらかわよしみつ)氏(62)を講師に招いた家庭教育講演会が2月16日(土)、市交流センターで開かれ、逆境にめげず半生を歩まれた体験に基づいた講演に、大勢の市民が耳を傾けました。
講演会は、市教育委員会が進める平成19年度家庭教育支援総合推進事業の一つとして実施されたものです。演題は「生きてこそ今」。講師の白川氏は、昭和21年旧阿仁合町荒瀬生まれ。阿仁合中学校を卒業後、16歳で大工の道に入り、20歳で上京、24歳で独立後は建築業、不動産業を手がけ、現在、白川工務店代表取締役会長。本業のかたわら、青少年の教育相談、講演なども続けられています。
会場には約150人が聴講に訪れました。開会セレモニーでは、三澤仁教育長が、「教育のみなもとは家庭にある。父母、祖父母の生きる姿を身を持って学ぶことが原点。複雑な家庭環境の中で育ち、また障害というハンディを背負いながらも裸一貫で人生を切り開かれた白川さんのことばから、生きるヒントを探ってほしい」、などとあいさつ。
講演では、はじめに白川氏が、戦後の貧しい暮らしの中で、産みの親、育ての親など3人の父・母に育てられ、また、首と背中が変形する病気を抱えて生まれた生い立ちや、幼少時代、そのことでいじめを受けたことなどを紹介。
「いろいろ言われ、悔しくて涙を流したこともあったが、思いつめはしなかった。白川の実子でないとはっきり知ったのは、中学3年になって知ったことだったが、もらってくれた祖父母、その後、父母となった祖父母の長男と三女とも、本当の子として愛情を注いで育ててくれた。障害も、むしろ自分を強くしてくれた。生まれてすぐ他人の家の戸籍に入るという複雑な家庭環境で育ったが、今の自分を見るとき、そのことが、不幸であったとは思わない」と、父母に感謝しつつ、当時を振り返りました。
風呂もなく、登校前の草刈、下校後のリヤカー引きなど家の手伝いがあたりまえだった子ども時代の生活。中学校卒業後は、職業訓練校を経て大工の棟梁に弟子入り、20で上京します。新しい親方の下で努力を重ね、24歳で独立、郷里の弟子を迎え、30代で建設会社と不動産会社を設立します。取引先の倒産などで窮地に陥ったときもありましたが、白川家出身の妻・幸子さんなど、主意の人たちの支えと励ましもあり、困難を乗り越え、安定した会社と幸せな家庭を築かれました。
また、白川さんの会社では、親から相談を受けて落ちこぼれや引きこもりの若者なども引き受け、直接向き合い、汗を流させ、一人前にして行くことも多い、といいます。
白川さんは、こういった人生体験をもとに、「最近では、子どものしつけを先生や学校のせいにする親も多いようだが、子どもは3歳頃までで性格が決まってしまう。親が忙しいことを理由に子どもと接する時間を作らないから問題が起こる」、と説き、
「私が育った白川家は、とても貧しかったが、親は子どもに目をかけ、また村の人々も困った人がいればお互いに助け合っていた。自分はハンディもあったし、学歴もないが、こうして生き抜いてこれたのは、家族や地域、そしてこれまで出会った人たちに助けられ、愛情を受けたおかげだと思っている。子どもに対しても、よく見つめ、愛情をもって会話をし、話を聞いてあげることが、大切なことではないか」と、持論を述べていました。
(2008.2.16)