2009年10月04日
コンテンツ番号5768
6つの郷土芸能を披露 第4回北秋田市民俗芸能大会
北秋田市の郷土芸能を紹介する「第4回北秋田市民俗芸能大会」が10月4日(日)、市文化会館で開催され、市内外から詰め掛けた満場の観衆が郷土色豊かな芸能の数々を楽しみました。
市には、鷹巣地区から阿仁地区まで、たくさんの個性豊かな郷土芸能が伝承されています。しかし、一般には地区の祭典やお盆の時期、集落内で公開されていることから他地区の住民が目にする機会が少ないのが現状。また、後継者不足などの理由から廃れてしまった芸能も多く保存・伝承が課題にもなっています。
大会は、市内で演じられている芸能を一堂に集めて市民に公開し、民俗芸能への理解と関心を深め、保存・伝承につなげることなどを目的として始まったもので、第4回目となった今年の大会には、猿倉人形芝居一座(合川地区)、太田連合子供会(鷹巣地区)、比立内獅子踊り保存会(阿仁地区)、鷹巣南小学校(鷹巣地区)、浦田若勢会(映像)(森吉地区)、坊沢獅子踊り保存会(鷹巣地区)の6団体が出演しました。
開演に先立ち、津谷市長が、「それぞれの地域には長い歴史と文化・伝統がある。そして、その裏付けとなっている地域に根ざした様々な民俗芸能も伝わっている。近年は、高齢化や人口減少による後継者不足により長い歴史のある文化が途絶えよとしている。市としても皆さんに地域以外の伝統芸能を見てもらい、聞いて、触れてもたって地域の方々といっしょに保存・継承に努めたい。今日は一日楽しんでください」などとあいさつ、公演が始まりました。
オープニングで登場したのは、昭和49年に秋田県無形民俗文化財に指定されている猿倉人形芝居、その源流は文楽人形と同系統といわれてますが、都会で発展した文楽とは異なり、民衆の間で生活娯楽として親しまれた素朴な人形芝居で、明治・大正期を通じて関東から東北、北海道を巡演し、全盛を誇りました。今回は片手の人形をすばやく他の手に投げかける早業が特徴の「鬼神の尾松」と、リズミカルな三味線の音にのって軽快な手さばきを見せる「貫鉄和尚笠踊り」が上演されました。
二番手に登場したのは、太田連合子供会による「太田番楽」で、太田の神職である法楽院峰紹が京都に遊学した際に、神学と能楽を混ぜて創案した伝えられています。後継者不足のため近年演じられませんでしたが、伝統が途絶えることを危惧した保存会の皆さんが地域の子供会に働きかけ、子供会により継承されています。今回は番楽裏舞の「壇の浦」が上演されました。
3番手に登場したのは比立内獅子踊り保存会による「駒踊り」。米代川、阿仁川流域の集落には、共通した流れを汲む獅子や駒踊り、奴踊りといった芸能が伝えられています。これらは、佐竹義宣侯が常陸から秋田へ国替えを命じられたときに、主君や武将の士気を鼓舞するために演じられた道中芸がルーツとされています。比立内獅子踊りは、参勤交代を模した行列、奴、駒、獅子踊りなどで構成され、駒踊りは、徳川家康の長男、岡崎城主(三郎家康)の出陣、乱戦などの場面を芸能化したものといわれ、踊りは獅子、駒、棒など数種類の踊りで構成されますが、今回は「駒踊り」だけの上演となりました。
ステージでは、合戦で戦う騎馬の様子を表現したといわれる勇壮な踊りを8人の駒が舞台狭しと熱演し、観衆を魅了しました。
4番手は鷹巣南小学校の児童による「七日市奴踊り」と「上舟木駒踊り」で地区住民の指導を受けながら学校行事で継承してきました。「上舟木駒踊り」は竜森小学校で引き継がれてきたもので4月の学校統合で南小学校で継承されました。
このほか、近隣の獅子踊りの由来と同様で、毎年お盆に集落の神社に奉納されている、踊りの最後に獅子納めの儀式が行ない、翌年まで獅子踊りの真似ごとも禁じられているため、記録映像の浦田獅子踊り、藩政時代からお盆になると村の若勢たちが集まり「厄除け獅子」を主体にして大名行列の姿を真似た奴踊りを演じたことが始まりで、有名な五義民の霊を慰めるために墓前で演じられるようになったともいわれる坊沢獅子踊りが次々と披露されました。
各地区から訪れた満場の観衆は、約2時間の間席を立つこともなく、郷土色ゆたかな各地区の芸能の数々をたっぷりと堪能していました。
※参考
→第1回民俗芸能大会(平成18年9月3日)
→第2回民俗芸能大会(平成19年8月26日)
→第3回民俗芸能大会(平成20年8月31日)
→第29回秋田県民俗芸能大会(平成17年9月10日)
(2009.10.4)