2009年09月25日
コンテンツ番号5953
旧海軍飛行予科練習生の皆さん
(2009.9.25)
太平洋戦争時に海軍飛行予科練習生として訓練を共にした方々など5人の皆さんが9月25日、訓練隊の宿舎だった合川東小学校(中田とし子校長)を訪れ、子ども達と交流を深めました。
今回訪れた皆さんは、藤城浩三さん(東京都)81歳、九嶋孝さん(東京都、北秋田市米内沢出身)81歳、今林連さん(静岡県)81歳、蓮尾昭之輔さん(大阪府)81歳、宗方光留さん(岐阜県)80歳の元予科練生5人。
昭和20年6月、北秋田市(上大野村)の大野台には、16歳から17歳の予科練で編成された土浦海軍航空隊の「グライダー特攻」訓練基地が設けられ、その隊員ら約900人の宿舎として上大野国民学校(現合川東小学校)が使われていました。
当時の訓練は、国内初の有人ロケット戦闘機「秋水」の完成に備えたもので、数メートルのゴムを引っ張りそれを引き離し、人が乗り込んだ小さなグライダーを飛ばすもの。グライダーは空高く舞い上がり、先端には爆弾に見立てた砂袋を取り付けて、敵艦に体当たりする想定で訓練が続けられました。
戦地においてロケットは飛び立つと帰ることのできない、死を覚悟した攻撃のための訓練だったそうです。少年たちは、大野台に汗と涙と血を流して、国のために命を捧げる覚悟で訓練を行い、そして同年8月この地で終戦を迎えました。
元予科練生の皆さんは、同校の6年生14人を前に当時の体験談や思い出などを話し「戦争のために作られたロケットが、今は宇宙ステーションに物資を運んでいる。軍事産業が平和産業になっていることがうれしいし、安心している」などとも話していました。
最後に児童を代表して、佐藤優有さんが「皆さんの話を聞いて、訓練はとても大変で苦しい生活だったとわかりました。今日聞いた話を忘れないで、戦争をしない平和な暮らしができればいいなと思いました」と述べ、佐藤壱麿くんが元予科練生の皆さんにお礼の花束を手渡しました。
この後、元予科練生の皆さんは、大野台の一角にある平和公園内に建立されている「土浦海軍航空隊秋田基地跡」と刻まれた石碑を訪れ、当時の辛い訓練など青春の思い出を振り返っていました。