2009年08月16日
コンテンツ番号6742
阿仁鉱山700年祭
(2009.8.16)
阿仁鉱山700年祭が15日、16日の2日間にわたり阿仁異人館・伝承館前広場などで行われ、長年にわたり地域の繁栄を支えた鉱山の歴史を振り返った。
初日の15日は阿仁ふるさと文化センターで式典が開かれ、阿仁鉱山700年祭実行委員会の斉藤宏一委員長はあいさつで「阿仁鉱山は、鎌倉時代の延慶2(1309)年、湯口内沢の上流に炭焼きに入った人が砂金を発見したのが始まりと言われている。言い伝えによると奈良時代には阿仁鉱山から朝廷に青銅が献上されたとされている。一方、奈良の東大寺の大仏像を造るにあたり、阿仁鉱山の銅も使われたという説もある」と阿仁鉱山の歴史を振り返った。
そして、「阿仁鉱山が開山して今年で700年目にあたる。この間に先人が築いた歴史的財産が数多く残されている。私たちは、これを後世に伝える」と結んだ。
また、来賓の津谷永光市長は「この700年祭は、地域の歴史に目を向けて、先人の様々な偉業に感謝し、学んで地域の活力につなげる意義深いもの。また、阿仁鉱山は平成19年には近代化産業遺産として認定されており、今後は地域、関係機関、行政が連携してこの文化遺産を後世に残し、阿仁地域を含めた北秋田市全体が魅力あるまちに作り上げたい」と祝辞を述べ、続いて、古河機械金属株式会社(相馬信義取締役社長)代理、古河林業株式会社(古河久純社長)代理、近藤健一郎県議会議員の祝辞がありました。
この後、旧阿仁町助役の小林精一さんが「阿仁鉱山の思い出」と題して講演をしました。
この講演で小林さんは「鷹巣農林を卒業してから東京オリンピックの年まで鉱山で働いていた。古くは阿仁の銀を大阪の商人が扱っていた。阿仁川、米代川を下り、能代から北前船で運ばれ、福井から大阪、帰りの船で京都や大阪の文化が入ってきた。それを示すものとして、『みんじゃ』という言葉であり、瀬戸内海の一部の場所でしか産出されない石でできている墓石や石仏が阿仁に数多く残っていること」と語った。
米内沢の赤石玲子さんのよる「阿仁銅山村の山寺」の朗読、民謡のアトラクションが繰り広げられたほか、ロビーには坑道などが入った鉱山図や昭和初期の当時の写真が展示された。
16日は、鉱石に含まれる金の含有量を分析するときに用いた碗かけ技法の実演、阿仁中学生によるからめ節のほかダースチンドンショーなど多彩なイベントが行われました。