2009年02月28日
コンテンツ番号6822
(財)北秋田市体育協会平成20年度スポーツ賞表彰式
財団法人北秋田市体育協会(松田光朗会長)が主催の平成20年度同協会スポーツ賞表彰式が2月28日(土)、市文化会館で開かれ、この1年間にスポーツで功績のあった13団体67人が功労賞、栄光賞など各賞を受賞しました。
受賞者及び関係者など約300人が参加した式典では、「若い力」を斉唱したあと表彰に移り、はじめに長年にわたり各競技の普及・振興、競技団体の運営などで功績のあった方に贈られる功労賞の表彰が行われ、ゲートボールの山田隆さん(綴子)、山岳の庄司康宏さん(阿仁前田)、ユニカールの簾内宏さん(今泉)の3人が松田光朗会長から表彰状を受け取りました。(→功労賞一覧)
続いて、「特別栄光賞」、「栄光賞」の個人及び団体、「奨励賞」の個人及び団体が表彰を受け、各選手、チームの代表が順番にステージ上に上がり、拍手とともに表彰を受けました。(→特別栄光賞|栄光賞|奨励賞)
このうち、特別栄光賞は、国際大会や全国大会で顕著な成績を上げた選手に贈られる賞。2008フェンシング世界ベテラン選手権60歳以上男子フルーレ個人2位の成績を上げた成田政志さん(市フェンシング協会)、第64回国民体育大会冬季スキー競技会少年女子5キロクラシカルで優勝した高堰美里さん(米内沢高校2年)、アジアカデフェンシング選手権大会で優勝した松岡慧さん(合川高校2年)、ノルディック複合ワールドカップや世界選手権などで活躍する高橋大斗さん、小林範仁さん、湊祐介さんなど10人が受賞しました。この賞では、受賞者が市外在住または現在大会出場のため、多くは代理受賞となりましたが、高堰美里さんら本人が出席、登壇した表彰では、会場から一段と大きな拍手を受けていました。
表彰のあと行われた主催者あいさつでは松田会長が、「みなさんはすばらしい成績を収めスポーツ受を受賞されました。おめでとう。現在の世界状況は、不況やリストラなど経済危機が続き、今後のスポーツの拡大への影響や、選手のみなさんが自分の思うようにスポーツができない環境になるのではと不安を感じる。私たち人間は体を動かすこと、スポーツをすることが大切で、体を動かさないと病気になりやすく余計にお金がかかってしまう。行政にはぜひスポーツの奨励に力を入れていただきたい。昨日、明るいニュースが入ってきた。北秋田市出身の小林範仁さんと湊祐介さんが、ノルディック世界選手権複合団体で世界一に輝いた。小林さん湊さんのような優秀な人がこの地域から出たというのは、市民や多くのスポーツ選手の励みになる。市のスポーツがますます盛んになることを願い、皆さんの栄誉を称えるとともに、今後の活躍を期待する」と、激励と期待の言葉を述べました。
また来賓として三澤教育長、近藤健一郎県議会議員、吉岡興議長が出席。うち岸部市長の代理で出席した三澤教育長は、「会長からも話がありましたが、昨日はビックなニュースが飛び込んできた。北秋田市出身の小林さんと湊さんの大活躍で、日本チーム14年ぶりに金メダル獲得。今日の授賞式に大きな花を添えてくれたと思う。みなさんで2人の健闘を多いに称え合いましょう」と述べ、「功労賞を受賞された山田さん庄司さん簾内さんは、それぞれの立場で長年にわたり献身的に体育協会の充実と発展に尽くされ深く感謝します。また、特別栄光賞、栄光賞、奨励賞を受賞されたみなさんも、その活躍は賞にふさわしく、すばらしいものばかりであり、市民の誇りとするもので、市の歴史に深く刻まれていくものです。このたびの受賞をバネにしてさらなる活躍を期待します」と岸部市長のメッセージを代読しました。
最後に、功労賞を受賞した簾内宏さんが受賞者を代表し、「我がふる里から、小林選手と湊選手が世界スキーで1位を取られたという盛り上がりのある中で、私たちに名誉あるスポーツ賞が授与され、誠にありがたく厚く御礼申し上げます。ローマ2000年前からの教訓に、"健全なる精神は健全なる肉体に宿る"とあり、スポーツの練習は辛いが一生懸命がんばれば、自ずと健康体が保たれ、丈夫な肉体が作られるとともに、友愛の心、共闘する心という大事な事も作られる。つまり、練習を続け苦痛に耐えスポーツを継続していれば、ローマの教訓に近づけることだと思う。この賞に報いるべく、スポーツの大事さやありがたさを今一度噛みしめ、これからもスポーツが益々盛んになるように協力していきたい」と、謝辞を述べました。
表彰セレモニーの後、記念行事として、元能代工業高校バスケットボール部監督で能代山本スポーツリゾートセンターアリナス館長の加藤廣志氏による講演「夢に生きる〜バスケットボールと私」が行われました。
加藤氏は、昭和12年藤里町生まれ。能代工業高校から日本体育大学へ入学。卒業後、昭和35年に母校・能代工業高校教諭に赴任し、バスケットボール部監督に就任。埼玉国体での全国初優勝以来、全国優勝33回を達成し、そのうち三冠王5回、インターハイ7連覇という偉業を成す。平成2年監督を引退し、能代工業高校教頭、県立スポーツ会館館長、県教育長保健体育課長などを歴任し、平成9年能代工業高校校長となり、翌平成10年に定年退職。現在、能代山本スポーツリゾートセンターアリナス館長。
講演では、自らの生い立ちから、バスケットに目覚めたきっかけ、バスケットボールの指導者を目指した理由などを話し、"一度でいいから日本一のチームを作りたい"というのが最初の指導者としての思いだったと語り、能代工業高校バスケットボール部監督を務めた30年間を振り返りながら、指導者とは、深い愛情、燃えるような激しい熱い情熱、自分が本気であれば真剣に答えてもらえるという信条だったと述べ、選手の指導方法をはじめ、選手の育成についての持論など時折声を張り上げて熱く語り、聴衆はその迫力ある弁舌に引き込まれていました。
(2009.2.28)