2010年11月03日
コンテンツ番号6684
救う会秋田北秋田地区ミニ集会
「北朝鮮に拉致された日本人を救出する秋田の会(救う会秋田)」の北秋田市地区ミニ集会が11月3日(水)、北秋田市中央公民館で開かれ、市内外から約120名が参加し、日本人拉致問題の理解を深め、一日も早い救出を願いました。
秋田県出身者や秋田県内で失踪した方は、特定失踪者問題調査会によって現在5名確認されています。北秋田市では、1992年に北秋田市(旧合川町)の自宅を出たまま行方が分からなくなっている、松橋恵美子さん(当時26歳)が北朝鮮に拉致された疑いがあるとされ、特定失踪者として登録されています。
はじめに、松村譲裕・救う会秋田代表が「これだけ拉致問題が騒がれていても、なかなか解決しない。拉致問題は国際問題ではなく、国内問題と思う。政治家の方、マスコミの方、行政の方、経済界の方などの多くの方々が、何とかしないといけないと一所懸命に考えている方いるが、組織として問題解決に向けて話し合いをすると反対する方もおり、救出活動ができなくなってしまう。救出しようとしている方々のエネルギーが伝わるように、被害者の救出を目指して行動していきたい」などと開会のことばを述べました。
また、来賓として津谷市長は「北秋田市では、松橋恵美子さんが、平成4年に能代市の落合浜から突然の行方不明となってしまい、限りなく拉致の可能性が高いと考えられている。愛する家族から無理やり引き離されて、長年に渡り北朝鮮で囚われの身となってしまっているのかと思うと、とても無念であると同時に犯罪国家である北朝鮮に対して激しい怒りの念がおさまりません。先月、都内にある特定失踪者問題調査会において、北朝鮮向けに放送されている短波放送しおかぜのメッセージを収録してまいりました。松橋さんをはじめ、拉致されている全ての方々の帰りを、心から信じて待っていることやそのために全力を尽くしていくという想いをこめて話してまいりました。ぜひ、北朝鮮にいる皆さんに届いてほしい。一日でも早く問題が解決できるように、私も出来る限りの支援をさせていただくことをここでお誓い申し上げます。皆さん、ともに頑張りましょう」などとあいさつ。
このあと、拉致問題の経緯や救う会の活動を紹介する「命を奪るな!自由を返せ!〜拉致事件から人権問題を考える」と題した映像を上映し、拉致問題について理解を深めました。
講演では、平野フミ子さん(増元るみ子さんの姉、熊本県在住)が「家族会を作って、救出に向けて活動が始まった。同じ日本人だから全員が味方だと思っていたが、現実は違った。私たちは、国民の皆さんに問題を訴えて、世論を動かしていくしかなかった。皆さんのおかげで世論が高まり、小泉首相の訪朝で光が見えたかと思ったが、5人生存・8人死亡という結果を告げられた。私の妹は、28歳の時に心臓まひで死亡したと告げられた。健康で元気だった妹には絶対にありえないことです。北朝鮮の言うことは、本当に嘘ばかりです。日本のことも信じられなくなっていた私に、父が亡くなる前に「それでも俺は日本を信じる」と言っていました。それを聞いて私も『もう一度日本を信じてみよう』と心に決めました。83歳の母親には『るみ子に会わせてあげたい』、『天国の父に報告させてあげたい』の一心で頑張って活動しています。皆さんの家族や孫がいなくなったら、大変な思いをすると思います。そのような気持ちになって、応援していただきたい。皆さんの力をいただかないと、問題の解決に向けて進まないのです。拉致問題が解決するまで、北朝鮮の金正日に『早く返せ』と訴え、また管直人首相にも『日本人を早く取り戻せ』とメッセージを伝えていきたい」などと涙声で訴えました。
また、特定失踪者家族の証言では、天内みどりさん(木村かほるさんの姉、八戸市在住)が「妹がいなくなった当時、秋田の警察に捜索願いを出したとき、警察官に『何人も若い人がいなくなっている』と聞いた。男鹿の漁師さんには『この辺にはわからない小さい船がしょっちゅう来るんだよ』、『帰国事業の最中に連れていかれた』などと様々な情報があった。国からは自らの意思で帰国事業のときに北朝鮮に行ったのではなどとも言われた。しかし、就職も決まっていた妹が、自らの意思でいなくなることはない。国が妹を拉致と認めないのはもういい。妹が元気で生きていてくれれば、それでいいと思っている」などと話しました。
特定失踪者
松橋恵美子さん
昭和40年5月15日生まれ 失踪年月日:平成4年年1月15日(26歳)
当時祝日だった1月15日、朝食後「隣町の鷹巣町に出かけてくる」と祖母に言い残し、北秋田郡合川町の自宅を出たきり行方不明となりました。翌朝出勤していないことがわかり、捜索すると、能代市落合浜で施錠されていない本人の車(日産マーチ)が発見されました。車の中には財布、化粧道具、給油伝票のほか、防寒着など本人の身の回り品が全てそのまま残されていました。当時、10数日間の大規模な捜索が行われましたが、発見には至っていません。
1月の寒い時期に防寒着が車内に置いてあった、財布などもそのまま車内に置き去り、自宅の引き出しの中に3月8日秋田県民会館での徳永英明コンサート前売り券が2枚残されたままであるなど不自然な点が多い失踪事件です。
平成15年10月には特定失踪者問題調査会で行った調査でも、北朝鮮による拉致の可能性が非常に高いという調査結果が出ています。
木村かほるさん
昭和13年8月27日生まれ 失踪年月日:昭和35年2月27日(21歳)
青森県八戸市出身の木村さんは当時日赤秋田高等看護学校の3年生で卒業試験を2日後、卒業式を10日後に控えていました。寮の部屋から午後2時過ぎに「ちょっと出かけてくる」と出て行ったまま失踪。寮の身の回りのものはかたづけられたり持ちだした形跡はありませんでした。
家族が捜す過程で男鹿半島の漁師に「不審船が出没しているから北朝鮮に連れて行かれたのでは」と言われ、秋田警察署では「同じような神隠し事件が続いている」と聞いています。政府認定者の曽我ひとみさんのように看護士の失踪は多く、何らかの関連があるのではないかと思われます。
また、特定失踪者問題調査会の調査により1982年から1983年まで北朝鮮の「安山館」で働いていたタイ人女性の日本語教師が、木村かほるさんに酷似しているとの証言もあります。
※関連リンク
特定失踪者問題調査会のホームページはこちら
救う会秋田(北朝鮮に拉致された日本人を救出する秋田の会)のホームページはこちら
(2010.11.3)