2010年05月26日
コンテンツ番号2258
合川南小学校慰霊祭
昭和58年の日本海中部地震による津波で児童13人が犠牲になった合川南小学校(寺田博明校長)で5月26日、27回目の慰霊祭が行われ、全校児童30人と教員らが犠牲者の冥福を祈りました。
27年前の昭和58年5月26日、同校の4年生20人と5年生25人、教員らは、遠足先の男鹿市加茂青砂の海岸で地震による津波にのまれ、4年生8人と5年生5人の13人が亡くなっています。同年11月同校裏の高台に「合川南小学校児童地震津波殉難の碑」が建立され、同校では毎年慰霊祭が行われています。
慰霊祭は、地震が発生した午前11時59分に合わせて行われ、慰霊碑には13本のロウソクとジュースが供えられました。参加者全員で黙とうした後、寺田校長は「荒波の中で助けを求め力尽きて命を失う、その苦しさ恐ろしさを想像すると胸がつぶされる思い。楽しいことがたくさんあったであろう人生を奪われたくやしさ哀しみを思うと、言葉もありません。私たちはこの教訓に学び、授かった自分たちの命を大切にして生きていくことを改めて誓いたい」と慰霊の言葉を述べました。
続いて、児童を代表して6年の三浦那奈(なな)さんが「全校児童で亡くなられた皆さんのご冥福を心からお祈りします。私たちは皆さんのことを忘れず、皆さんの分まで勉強やスポーツに励み、仲良く元気に暮らします。私たちのことを見守っていてください」と述べました。
この後、寺田校長、杉渕敬輝教育次長、6年の加藤俊文(としふみ)君、1年の金田麗唯奈(れいな)さんが慰霊碑に献花し、また、5年の土濃塚悠成(ゆうせい)君、3年の土濃塚勇輝(ゆうき)君が慰霊の地蔵に献花しました。
慰霊の地蔵は、長野県上田市の川久保富男さんが、津波の犠牲になった児童の不幸に心を痛め、平成8年12月に寄贈し建立したものです。地蔵を寄贈した川久保さんは昨年の5月26日に亡くなり、寺田校長は「時を同じくして他界されたと聞き、なぜこの方が、なぜこの日に、という思いでいっぱいでした。おそらく今、天国ではあの子どもたちと心を通わせ語り合っているのではないか。高い空の上より、南小学校と地蔵様にこれからも心をお繋ぎください」と慰霊の言葉を述べました。