2010年01月20日
コンテンツ番号7640
昔こ
陰暦十一月二十四日の御大師講には大雪が降ることになっている。
降らなければ心配で、私達はこの日に大雪が降るよう心からお祈りをする。
この晩小豆餅をたくさん食べることになっている。お風呂に入って小豆餅をたべ、焼けこげそうに熱い炬燵でばあやの昔語りを聴かせて貰うのだ。
昔語りは毎年毎年同じことを繰り返し聴くので、私達はその昔コをすっかり覚えてしまったが、それでも雪の降る夜に、吹雪の唸りを聴きながら昔コをねだるのはたのしい。
「ばば、また昔コやってけれ」
台所の後片付けの済むのを待って、蓑吉がさいそくした。
むかしこ、昔コあったどし―
ばあやも風呂から上がって、頬っぺたをりんごのように赤く艶々させながら、待ちくたぶれている私達に昔コを語るのはたのしそうだ。
むがし、むがし或るところに二人の兄弟があったどし、兄さんはお金持ちで蔵を十二棟も持ち、弟は貧乏だが子宝を十二人持っていたど。ある年のこと、弟の方は御大師が来ても餅をつくことができないほどに、貧乏が底をつき、せめて子供達に小豆粥でもたべさせてやりたいと思い、兄さんのところサどうかお米と小豆を恵んで下さい、春になったら、必ず働いてお返ししますからと頼みに行ったど。
兄さんは欲張りで、弟の頼みなど少しもきいてくれないばかりか、なんだと、米だな、小豆だと、よくもはずかしくなくそんなものを貰いに来たものだ。俺の蔵にはな、小豆も米も山ほどあるが、お前等のような貧乏者にくれてやる小豆や米は、一粒もないわいと悪態を言い、この貧乏神奴、とっとと消え失せろと、怒鳴りつけ、薄情にも戸口から外へ突き出してしまったどし。
弟は涙を拭きふき家路を辿ったが、家では今頃子供達が、お父さんの帰るのを楽しみにお腹をすかせて囲炉裏に火を焚き、湯を沸かして待っているだろうなと思うとなんとも不憫で、とても手ぶらでは帰れなくなり、道を引き返してまた一思案、もう一度兄さんに頼まなくてはと考えたのだァ、したども、雪道を踏みしめる足は重く、寒さは寒しでとうとう悪心をおこしてしまったど。盗人になっても小豆と米は家へ持って帰る決心で勝手知った兄さんの蔵へ忍び込んだどし。
ばあやはりんごの皮をむいて私達に一個ずつ渡してまた語り継いだ。
弟は盗んだ米の袋と小豆の袋を背負ってどんどん逃げて行ったが、悪いことはできないもンだし、蔵の前から大きな足跡を雪の上に残したのにさっぱり気がつかなかっだじもの。飢えと寒さに震えながら、自分の帰りを待っている子供のことで頭がいっぱいあったべなんし。
やがて兄さんが蔵の見廻りにやって来て、蔵の前の足跡に気がつき、米と小豆を盗まれたことがわかると「おうい、待てェ」と大声を上げて追っ掛けたどォ、つかまったもンでは大変なことだなンすそれを見ていた御大師さまは、なんとかしてこの貧乏な可哀そうな弟を助けてやりたいと思って、雪の神様にお願いしてもったど。
「雪の神様はどこにいる」
蓑吉は昔コの途中でばあやに訊いた。
「雪の神様しか。それァ神様だから天上にいるべなし」
「ウン」
蓑吉は大きくうなずいて、
「それから」 とさいそくした。
これが蓑吉の癖なのだ。ばあやはまた続ける。 雪の神様、なんとかあの哀れな弟を助けてやってください。足跡の消えるまで、どうか雪をどんどん降らせて、あわれな十二人の子供を護ってやって下さいと御大師さまが一生懸命お頼みしたので、雪の神様は風の神様と力を併せてどんどん雪を降らせ、下界は猛吹雪になってしまったどし。 むがしコむがしコどっと払い(おしまい)。
どっと払いを言ったのは蓑吉だ。
さっきからそれを言いたくて蓑吉はむずむずしていたのだが、ばあや、「まだまだあるし」と笑った。
弟の足跡は雪にうまってしまうし、吹雪で行く手は見えず、貪欲兄さんもとうとうあきらめて家さ戻るが、途中で道に迷い、凍えて死んでしまったどし。十二も土蔵を持つ金持ちになっても、死んでしまったんではどっと払いだなンし。人間の欲張りは一等ダメ、兄弟は仲良く助け合うもンだし。
ばあやはそれが言いたかったのだろうが、蓑吉は眠たそうにとろんとした眼で大きな欠伸をした。
御大師講の夜は今年もどうやらひどい吹雪になって、雨戸をがたぴぴし鳴らしている。雪は今朝から小止みなくふっていたから、明日の朝までには一尺も積るにちがいない。これが根雪になって、もうすっかり冬になるのだ。(以下略)