2010年01月29日
コンテンツ番号7630
市民の関心を高め世界遺産登録実現を
平成21年度第1回合川ろばた講座が1月29日(金)、合川農村環境改善センターで開かれ、約50人の市民が三内丸山遺跡など北東北の縄文遺跡をテーマとした講演に耳を傾けました。
ろばた講座は、「明日に向けた社会学」をテーマに地域について理解を深めることなどを目的として昭和52年から合川公民館が開催している市民講座。今回は、「歴史編」として朝日新聞社秋田総局長の阿部俊幸氏が、「北海道・北東北の縄文遺跡と考古学報道〜三内丸山遺跡を中心に振り返る」と題し講演しました。
阿部氏は、1992年に始まった青森県の三内丸山遺跡の調査発掘が本格的に実施されていた頃、青森支局に赴任し、同遺跡の取材・報道に携わった経験から、遺跡の概要や、発掘から保存に至った・活用に向けた取り組みを紹介。
はじめに、「北秋田市の伊勢堂岱遺跡を含む『北海道・北東北の縄文遺跡群』が一昨年の9月、世界遺産候補として暫定リスト入りした。かつて縄文遺跡は暫定リスト策定に際し評価がとても低かったことを考えると画期的なことだった。これも1994年の三内丸山遺跡の全国へ向けた報道と青森県の保存決定が大きな転換点だった」と述べ、三内丸山遺跡の調査発掘の経緯や報道について振り返りました。
「かつて縄文といえば、土器が出土するとその編年分析など地道に行っているような考古学者だけの世界だった。それが、極彩色の壁画が発見された高松塚古墳や邪馬台国との関連が言われた弥生遺跡・吉野ヶ里遺跡が発掘された頃から、その影響を受けて縄文文化への関心も高まりはじめた」、と阿部氏。
その上で、「三内丸山遺跡は、今から約5500年前から4000年前の縄文時代の集落跡。三内では江戸時代から遺跡があることは知られていたものの、本格的な調査が行われたのは、青森県営野球場建設の事前調査として始まった1992年から。しかし、あくまで事前調査で、調査が済んだ場所には野球場のスタンドが並行して建設されていた。ところが、調査が進むにつれ大規模な遺跡であることがわかってきた」と、発掘開始当時の様子を紹介しました。
その後、遺跡からは高床式の建物巨大なクリの木を建てた6本柱の柱穴、共同作業場として使われたと推測される大型の竪穴住居、千年にわたり同じ場所で集落が営まれた証しとなる盛り土、社会規範の存在を示す大人と子供が分けて配置された墓地などが続々と発見されたそうです。朝日新聞では「驚きの縄文遺跡」との見出しで記事を連載、全国への報道のさきがけとなりました。
また阿部氏は、「このような発見を受け、当時の青森県知事は1994年にトップダウンで野球場の建設を中止し、遺跡を保存すると判断を下した。それは、日々の発見が新聞、テレビなどで報道されたことや、発掘担当者も訪れる研究者に対し、垣根を作らずに情報を提供したことで縄文遺跡の価値が見直され、保存を求める声が大きくなったことによる」と、関心の高まりの影響力を指摘。
一方で、函館空港遺跡群などのように、調査はされたものの、開発が優先され結局は破壊されてしまった遺跡の事例を上げ、「北海道・北東北の遺跡群は、このように消えてしまった遺跡もあり、4道県の取り組みは必ずしも順調だったわけでもなかったようだが、暫定リストに載ったことで新たなスタートに立っている。縄文文化は自然と1万年にわたり共生した豊かな文化で普遍的な価値を持つ。北秋田市の伊勢堂岱遺跡も4つのストーンサークルを持つなど謎と夢のある遺跡。ぜひ市民の関心を高め、世界遺産登録に向けてがんばってほしい」、とエールを送っていました。
(2010.1.29)