2011年08月14日
コンテンツ番号4008
ふるさとの夏のイベントを楽しむ
(2011.8.14)
第40回合川まと火、第31回合川ふるさとまつりが8月14日(日)、合川橋付近と健康広場を会場に開催され、市民や帰省客らが「まと火」と「通り踊り」、「スペシャルステージ」などで行く夏の夜を楽しみました。
「ふるさとまつり」は、午後5時に地元のアマチュアバンド「重金属」「ナック」の演奏で始まり、続いて合川太鼓保存会の迫力ある呼太鼓と続き、婦人会・合川中女子生徒など約250人による華麗な踊り「通り踊り」が披露され、会場の集まった観客から盛んな拍手が送られていました。
開会セレモニーでは、実行委員会を代表して金森勝三合川ふるさとまつり実行委員長が「毎年すばらしい通り踊りを見せていただきありがとうございます。これから行われるまと火は、東日本大震災で亡くなられた方々に対しても少しでも弔いができればと思います。また、ふるさとまつりは、帰郷してくるみなさんが毎年楽しみにして帰って来られるようなまつりにしたいと思いますのでみなさんのご協力をお願いします」などと歓迎のあいさつ。
続いて、来賓を代表して虻川広見副市長が東日本大震災で被災された方々にお見舞いと復旧復興を願いながら「長い間に渡って地域の伝統行事を継承していただいている関係各位、並びに合川地域のみなさんに敬意を表します。合川まと火、ふるさとまつりが、本日この会場にお集まりの皆さんの夏の日のよき思い出となりますようご祈念申し上げます」などと祝辞を述べました。
この後、会場の健康広場では合川太鼓保存会のみなさんによる「合川太鼓」が披露されたほか、ゆかいな仮装で踊る「タント節」が観衆の笑いを誘い、スペシャルステージでは、ものまねタレントのマーガレットきよしさんが、氷川きよしさんをはじめとする数多くのものまねを披露して会場を盛り上がりました。
一方、阿仁川堤防が会場となった「合川まと火」は、午後7時30分から合川橋を挟み堤防約2にわたる水平まと火、20個の車まと火、「40回合川マトビ」の文字を浮かび上げた仕掛けまと火が中学生の生徒によって次々に灯されました。川面を赤く照らすまと火の幻想的な光景を観客の皆さん写真を撮りながら楽しんでいました。
合川太鼓
平成元年6月、合川町で県連主催の和太鼓講習会が行われたのをきっかけに、同年8月の生涯学習講座の中で合川太鼓として発足しました。大曲太鼓道場、現在、秋田県太鼓連盟専務理事、鈴木孝喜氏の指導により、合川囃子を修得し、その後、合川太鼓保存会として住民とのふれあい、地域の活性化をめざして活動しています。
通り踊り
合川中学校の女子生徒、婦人会など約250人で踊る通り踊りは、大勢にもかかわらず息のピッタリとあった踊りです。合川ふるさと音頭、合川まとび音頭にあわせ、まと火をイメージした先が赤い棒を鮮やかに操ります。
タント節
タント節の由来は旧合川町の旧大野村、現在の東地区の辺りで月明かりの夜、若者達が藁打ち作業で歌った「わら打ち唄」が現在は酒席で歌われるようになったものです。1から10までの数え唄式のような語りで、本来ならば「イロハ口説き」といって非常に長いものです。このタント節は合川が発祥の地として言われており、後に縁があり仙北地方に伝えられたものとされています。そして、平成5年度から7年度にかけて行われた合川町商工会「中小企業活性化事業」実施の際に、伝統・伝承文化の掘り起こしとして、この「タント節」を取り上げたことをきっかけに、ふるさとまつりのイベントの1つとして披露されます。
合川まと火
「まと火」は古く奈良時代から行われていた記録があり、灯明(とうみょう)は煩悩(ぼんのう)の闇を照らす仏の知恵に例えられ、仏前にともすことは香をたいたり、花を献じたりするとともに功徳(くどく)のあるもので懺悔(ざんげ)、滅罪(めつざい)となるとされています。合川では、古くから下小阿仁地域を中心に、春彼岸の中日の伝統行事として、墓地に灯かりをともすとともに、山の尾根づたいや沢づたい、あるいは川原にたいまつを灯し先祖の霊を我が家に迎えてもてなし、供養とともに豊年満作、家内安全を祈ってきたと言われています。そして、このまと火を更に継承発展させ、人々がふるさとに帰省するお盆の14日夜に阿仁川堤防に 延々と灯かりをともし、先祖の供養と郷土愛を培う伝統行事として行っています。また、まと火に使うダンポは合川住民総参加のもとに合川地区内全世帯で1個ずつ作られ、中学生の協力を得て阿仁川堤防約2に設置され点火されます。