2011年05月26日
コンテンツ番号3874
地震・津波の恐さを知り、13人の犠牲者の冥福を祈る
(2011.5.26)
昭和58年の日本海中部地震による津波で児童13人が犠牲になった合川南小学校(寺田博明校長、児童33人)で5月26日(木)、28回目の慰霊祭が行われ、全校児童と教員らが犠牲者の冥福を祈りました。
28年前の昭和58年5月26日、同校の4年生20人と5年生25人、教員らは、遠足先の男鹿市加茂青砂の海岸で地震による津波にのまれ、4年生8人と5年生5人の13人が亡くなっています。同年11月同校裏の高台に「合川南小学校児童地震津波殉難の碑」が建立され、同校では毎年慰霊祭が行われています。
慰霊祭は、地震が発生した午前11時59分に合わせて行われ、慰霊碑には13本のロウソクとジュースが供えられました。参加者全員で黙とうした後、寺田校長は「今年は、3月11日の東日本大震災の被害を目の当たりにし、例年とは違った複雑な思いで今日の日を迎えました。今年の始業式では、悲報を告げる一方で『普通に学校で学べること』、『普通に家庭生活が送れること』が実はとても幸せなことなんだということを子どもたちと確かめ合いました」と述べるともに、平成23年度をもって閉校が決まり「昭和58年度からこの丘の上より母校を見守ってくれた13人の皆さん。そして川久保さん。学校は少し離れることになりますが、慰霊の会は持ち続けて参ります。今度は合川小学校としての子どもたちを見守って下さるようお願いいたします。そしてまた、今回の津波で同じようにご不幸に会われた方々とも、天国において心を通わせ、慰め、元気づけてあげてください」などと慰霊の言葉を述べました。
続いて、児童を代表して6年の福岡秀輝(ひでき)さんが「13人の先輩のみなさん、今日の慰霊祭は合川南小学校として最後の慰霊祭になります。毎年6年生が慰霊碑を掃除していましたが今年は全校児童で一生懸命にきれいにしました。来年は合川小学校になりますが、来年も先輩たちに会いに来ます。今年は、地震の恐さを感じた特別な年になりましたが、ぼくたちは皆さんの分まで勉強やスポーツをがんばり、元気に暮らしていきます。これからもぼくたちのことを見守っていてください」などと述べました。
この後、寺田校長、三澤仁教育長、6年の石上十大(じゅうだい)さん、1年の杉渕莉心(りこ)さんが「慰霊碑」に、5年の成田海斗(かいと)さん、3年の三浦史帆(しほ)さんが「慰霊の地蔵」にそれぞれ献花し、柏木妙子さんと三澤清紀さんが歌と三味線により「鎮魂の歌」を捧げました。
合川南小学校では慰霊祭の前に避難訓練が行われました。
今年は、海辺の施設に行ったときに地震が起こり、津波が発生したと想定しての訓練となりました。
11時27分に震度5強の地震が発生、施設にたとえた校舎では非常ベルが鳴らされ、子どもたちは一旦机の下に身を隠し、次ぎに津波に備えて校庭横の高台へと避難しました。
避難終了後の講評で、寺田校長は、「津波では遠くよりも高いところへ避難する」などと気をつけることを説明しながら「学校にいない時間帯に起こることもあります。夏休みや海に出かけるときは学校の先生と一緒ではありません。自分で自分の身を守るようによく覚えて下さい。今日は立派に訓練ができたと思います」などと児童に話しました。