2012年06月26日
コンテンツ番号1779
いつまでもお元気で
(2012.6.26)
畠山ミツさんの100歳を祝おうと6月26日(火)、入所している介護老人保健施設ケアタウンたかのすを津谷市長が訪れ、寿詞と記念品を贈り長寿を祝いました。
明治45年6月25日生まれのミツさんは、8人兄弟の三女として大館市で出生。女学校を卒業し秋田市に就職、その後満州に渡り、南満州鉄道に勤める三九郎さんと出会い結婚。結婚生活は満州の大連で始まり、当時は戦争中で不安と恐怖の中で過ごしました。昭和20年頃に幼い子ども4人と共に先に帰国、三九郎さんの実家がある沢口村脇神字塚ノ岱(藤株)に戻りました。その後、三九郎さんが帰国、満鉄での技術を生かし板金業を営みながら4男1女を育てました。今では孫10人、ひ孫6人に恵まれています。現在は、平成23年10月から入所しているケアタウンたかのすで過ごしています。
同施設で行われた祝品の贈呈では、津谷市長からミツさんに寿詞と記念品の羽毛かけ布団が贈られました。津谷市長は「ミツさん100歳おめでとうございます。ミツさんは、明治、大正、昭和、平成と激動の時代を過され、満州に渡り、戦争もあったりと大変な時代を過ごされました。今こうやってミツさんが元気で100歳を迎えたことは、私たちにとっても誇りでありますし、ご家族にとっても大きな喜びだと思います。私も明治生まれの祖母がいましたが、早い時期に亡くなってしまい、ミツさんの元気な姿を見ていると、うちのおばあちゃんが生きているような感じがして、自分のことのように100歳をうれしく思います。これからも1年1年元気で年を重ね、いつまでも長生きしてください」などと祝福しました。
津谷市長の祝福に、ミツさんは椅子から立ち上がり「ありがとうございました」とお礼を述べました。
お祝いの会に同席した次男の康司さん(71歳)は「お祝いの会を開いていただきありがとうございます。ここの施設に入所してから、母は体力的にも力が戻ってきたのではと感じており、100歳までこれたのはケアマネージャーさんとケアタウンの皆さんの手厚い看護のお陰だと思っており、感謝しています」などとお礼を述べました。
施設でのミツさんは、朝5時過ぎには起床し朝食前に新聞や本を読み、テレビで朝のニュース番組を見るのが日課で、午前中は刺繍や物づくり、軽い運動などを行うアクデビティに参加し、昼食後は館内散歩や入所者との談話、音楽会などで明るく楽しい自由な日常を送っているそうです。スタッフによると、ミツさんは着替えやトイレ、食事といったことを自分でできるため、自身の事はほぼ任せているそうです。ミツさんの長寿の秘訣は、くよくよしないことだそうです。
お祝いの会には、秋田市から次男の康司さんと妻の昭子さん、長女の夫の藤田芳雄さんが同席し、施設利用者とともにミツさんの長寿を祝いました。 施設からは、ハンドベルの伴奏で誕生日の歌が披露されたほか、ミツさんが描かれたケーキや花束、100羽鶴、メッセージカードが添えられたアルバムが贈られました。
100歳以上の北秋田市民は、今回100歳を迎えられた畠山ミツさんを含め、男性2人女性27人の合計29人です。 また、最高齢は105歳の女性の方です。(平成24年6月26日現在)