2012年05月25日
コンテンツ番号1751
みなさんの分まで勉強やスポーツをがんばる
(2012.5.25)
昭和58年の日本海中部地震による津波で犠牲になった旧合川南小学校の児童13人の29回目慰霊祭が5月25日(金)、合川南小学校児童地震津波殉難の碑前で行われ、統合先の合川小学校(三浦栄一校長、児童数76人)の全校児童と教員らが犠牲者の冥福を祈りました。
29年前の昭和58年5月26日、合川南小学校の4年生20人と5年生25人、教員らは、遠足先の男鹿市加茂青砂の海岸で地震による津波にのまれ、4年生8人と5年生5人の13人が亡くなっています。同年11月同校裏の高台に「合川南小学校児童地震津波殉難の碑」が建立され、同校では毎年慰霊祭が行われてきました。
合川南小学校は児童数の減少などから平成24年3月に閉校し、同年4月から合川西小学校と統合して合川小学校として新たに開校しました。統合先の合川小学校では、合川南小学校の慰霊祭を引き継ぎ、命の尊さを学ぶとともに津波の犠牲者の冥福を祈る、合川小学校慰霊祭を行いました。
慰霊祭では、13本のロウソクとジュースが供えられた慰霊碑に向かい参加者全員で黙とうした後、三浦校長は「13人の皆さん、皆さんが通っていた合川南小学校はこの4月、合川西小学校と統合し、合川小学校として生まれ変わりました。今日は、統合して人数が増えた合川小学校の子どもたち全員で皆さんに会いに来ました。昨年は、東日本大震災が発生し、地震や津波の恐ろしさを実感した1年になりました。特に皆さんが教えてくれた津波の恐ろしさを改めて思い知らされた出来事でした。昭和58年のあの日から29年の時が流れました。皆さんの尊い命は、合川小学校の子どもたちの生きていく道しるべとなって受け継がれています。遥かな未来に向かって子どもたちが光り輝けるよう、どうかこれからも子どもたちを見守ってください」などと慰霊の言葉を述べました。
続いて、児童を代表して6年の田中優衣(ゆい)さんが「今年もこの日が来ましたね。日本海中部地震で私たちの先輩13名が津波で亡くなってから29年が経ちました。去年の3月11日、東日本大震災があり、家や車、船などが流されていく映像をテレビで見たとき、津波の恐ろしさを初めて知りました。そして先輩たちがどれだけこわい思いをしたのか想像できました。去年は、合川南小学校と合川西小学校のみんなで、加茂青砂の慰霊碑にうかがいました。そして、1年前約束したとおり、今日、合川小学校のみんなで先輩たちに会いに来ました。私たちは、みなさんの分まで勉強やスポーツをがんばり、元気に暮らしていきます。これからも私たちのことを見守っていてください」と慰霊碑に向かい話しかけました。
この後、三浦校長、三澤仁教育長、6年の杉渕彩花(あやか)さん、1年の成田美海(みう)さんが慰霊碑に献花し、また、5年の松岡優奈(ゆうな)さん、3年の土濃塚翔(しょう)さんが慰霊の地蔵に献花しました。