2013年10月18日
コンテンツ番号1438
山田町と北秋田市をつなぐ絆
(2013.10.18)
北秋田市合川地区の伝統行事まと火と郷土料理だまこ鍋の提供を行う「合川まと火交流プロジェクト2013」が、10月12日(土)から14日(月)、岩手県山田町で行われ、参加した合川中学校(小笠原茂人校長、生徒数157人)の生徒たちが、震災で亡くなられた人の供養とボランティア活動をとおして、現地の中学生らと交流しました。
この事業は、市町村や学校及び地域団体が連携し、県外の児童・生徒間の交流と受け入れ地域との交流を目的に行う、県の「子どもふるさと交流支援事業」により行われたもので、県内中学校で認定されたのは合川中学校が初めてになります。
プロジェクト立ち上げのきっかけは、当市で開催している「北東北子どもの詩大賞コンクール」に、毎年山田中学校の生徒からの応募が多数あり、文化交流がされている中で、同じ中学生として「何か応援することができないか」との考えから始まったもので、1年生から3年生までの参加を希望した32人の生徒と、引率者及び指導者19人の合計51人がプロジェクトに参加しました。
また、市では山田町へ、平成23年3月31日から同年4月30日までに10班編成で20人を避難所運営の支援のため派遣しているほか、平成24年6月からは、固定資産税台帳整備などの業務支援のため、24年度は3か月間ずつ2人の職員を、今年度は派遣期間を4か月として現在も派遣しています。
一日目のカメラスケッチ
最初に、合川公民館前で行われた出発式では、小笠原校長が「礼儀正しく美しく、楽しく。ただし、自分だけが楽しむのではなくて、現地の人の笑顔が見ることができるように頑張りましょう」などとあいさつし、山田町を目指して出発しました。途中、今回の宿泊先の「岩手県立陸中海岸青少年の家」の菊池所長が合流し、菊池所長により被災地の状況の説明を受け、旧大槌町役場庁舎を見学。生徒たちは、初めて自分たちの目で見る津波の恐怖と未だ進まない復興に驚いた様子でした。
午後からは、青少年の家で入所式が行われ、市生涯学習課・佐藤課長が「この交流を通して、皆さんの思いが山田町の皆さんに届くように頑張ってほしい」などとあいさつを述べました。入所式の後は、13日に行うまと火を住民の方へ周知するため、山田町芸術祭が行われている山田町役場周辺の施設や町民グラウンド仮設住宅を訪問して広報活動をしました。
その後は、このプロジェクトを成功させるために皆で力を合わせることを誓う「団結セレモニー」を、織笠地区の龍泉寺で行い、地元住民からは当時の悲惨な状況などが語られました。また、生徒からの「津波に遭った時、一番大切だと思った事は何ですか」といった質問に対し、「過去の体験から堤防で防げるものと思っていたが、自然は何が起きるかわからない。まず一番大事なのは高い所に逃げて自分で自分の命を守ること」などと回答がありました。また、住民の方が「電気が消え、電話も通じない、水も使えない、唯一使えるのはラジオだけ。こういう状況のときに皆さんはどういう行動をとりますか。これは防災で一番大事なことだと思いますので考えてください」と問いかけました。その後、生徒らは座禅を体験し、最後に、石ケ森住職からは「地震があったことが風化しつつある中、被災地に対して興味を持つことが大事。個人でできることは小さいかもしれないが、一人でも心を繋いでいきたいし、その想いに私たちも支えられている」との言葉があり、一日目の日程を終了しました。
二日目のカメラスケッチ
二日目の午前中は、仮設住宅を訪れて広報活動を行いました。訪れたのは山田病院裏仮設住宅と、処理場予定地仮設住宅。また、まと火の実演を行う山田北小学校のグラウンドでは保育園の運動会が行われており、生徒らは一生懸命に声をかけながら北秋田市から訪れたことやプロジェクトについて説明し、交流の呼びかけを行いました。
午後からは、青少年の家に戻り、まと火に訪れてくれた山田町の皆さんへ渡すハンカチの準備をしました。ハンカチには、生徒ら一人一人が「がんばれ岩手、がんばれ山田町」、「東北に光を」などと想いの込めた手書きのメッセージを添え、一日でも早い復興を祈りました。ハンカチの準備が終わった後は山田町の小・中学生との交流会が行われ、それぞれが自己紹介を行った後は、男子生徒がまと火に使用するダンポの作成、女子生徒がだまこの準備にそれぞれ取り掛かりました。
夕方からは、会場となる山田北小学校前で引率者たちと一緒に、まと火、だまこ鍋、ババヘラアイス提供の準備を行い、午後5時から始まったまと火の供養式が始まる頃には、会場を訪れた多くの人で賑わいました。少し肌寒い会場では、体を温めるだまこ鍋に行列ができ、盛り付けをする女子生徒も大忙しの様子でした。供養式が始まると参加者一同は、東日本大震災で亡くなった方の霊を弔い、男子生徒の手によって次々に灯される長さ約110メートルの水平まと火と、「つなぐ」の文字が浮かびあがる仕掛けまと火の幻想的な光景を楽しんでいました。
また、準備したハンカチを山田町の皆さんに手渡しすると、「来てくれてありがとう」、「また来てください」などの感謝と笑顔が会場に溢れ、参加者の心の絆を育む有意義な活動となりました。
三日目のカメラスケッチ
最終日の三日目は、青少年の家の菊池所長と一緒に建設中の船越小学校を見学。東日本大震災の津波で学校施設の一階が完全に浸水したため、建設中の船越小学校は、前校舎より8メートル高い海抜23メートルの場所に建設されています。建設地からは船越湾が見渡す事ができ、生徒らはその美しい景色が津波で破壊された事を信じられない様子で海を眺めていました。
視察後は青少年の家に戻り、大館市出身で山田病院の平泉宣副院長を囲む会が開かれました。平泉副院長が「震災を生きのびる」と題し、「生きのびるには三つ要件があり、運と生きようとする意志、そして自助・共助・扶助の助け合う精神。皆さんの人生はこれからですが、今回の経験を忘れずに辛いことがあっても人生を大事に生きのびて欲しい」と話をされました。
また、10月6日に行われた合川中学校文化祭で行ったバザーの収益金と寄付金を、山田町の東日本大震災遺児を支援する「鈴木善幸記念教育基金募金」へ寄付。平泉副院長からは「震災直後の翌月に日本で一番最初に現地で作られた奨学金で、これまでに61人の高校生が大学に進学している。皆さんの気持ちを役立たせていただきます」と述べました。
帰りのバスの中では、参加者一人一人から「寄付が届いているのに裕福な暮らしができない人がいるため、自分も贅沢をしないようにしたい」「小さい子からお年寄りにありがとうと言われたのが嬉しかった」「早く元の姿に戻って欲しい」「被災地の支援や募金活動に積極的に参加したい」などと感想が述べられ、合川公民館に到着してからの「解散セレモニー」では、小笠原校長が「皆さんはいい体験をしてきたと思う。一つ考えて欲しいのは、それぞれ頑張ってきましたが、今回の体験ができたのは支えてくれた引率者が頑張ってくれたおかげです。家族の人たちは皆さんの話を楽しみに待ってますので、体験を通して学んだことを教えてあげてください」などと述べました。また、プロジェクトチーム実行委員長の杉渕英佑さん(3年)が「山田町で体験して学んだことを家族やクラスの皆に伝え、震災があったということを皆さんの心に残していきましょう」と述べました。
生徒たちは、新しく生まれた山田町と北秋田市をつなぐ絆を心に刻み、これまでプロジェクトをサポートしてきた合川まと火保存会や合川婦人会、合川中学校PTAなどの引率者の皆さんに見送られながら合川公民館を後にしました。