2013年09月08日
コンテンツ番号1354
合川町創生から北秋田市の現在へと続く歴史の歩み
(2013.9.8)
北秋田市の名誉市民であり、元合川町長の畠山義郎氏の功績と遺徳を偲ぶ「畠山義郎殿お別れの会」が9月8日(日)、合川体育館で執り行われ、参列者約400人が最後の別れを惜しみました。
この会は8月7日に88歳で逝去された故人の功績と遺徳を偲び、津谷市長が実行委員長となって行われたもので、広い会場は個人を偲ぶ人々で埋め尽くされ、会場内に設けられたメモリアルコーナーでは自作の詩や多くの写真が飾られ、多くの方がゆっくりと見入っていました。
会では、合川地区の導師5人による読経のあと、津谷市長より「正に巨星堕つの如く、とてつもなく大きな存在の先生を失い、言いようのない深い悲しみと寂寥感が万感胸に染まってまいります。先生は昭和22年に下大野村農地委員に当選され、翌年には23歳の若さで下大野村農業協同組合の初代組合長に就任。25歳となった昭和25年4月に下大野村村会議員、昭和26年には下大野村村長として、地方自治の道を歩み出されました。 そして昭和30年の合川町誕生とともに、初代合川町長に就任されるやいなや、新しいまちづくりに向かって、誠心誠意、血のにじむような努力を傾注されました。特に先見性優れた先生の提案に基づく「社会福祉の町」宣言は、全国に先駆けて地域社会の福祉向上を目指したものであり、総合福祉施設「大野台の里」として築き上げてこられた福祉施設群は、現在も社会福祉法人秋田県民生協会へと引き継がれております。これらの数々の功績が認められ、昭和57年4月29日の「藍綬褒章」、そして平成7年11月3日の「勲三等瑞宝章」と、生前の二度にわたる叙勲受章は比類のないことであり、合川町のみならず、北秋田市の名誉であり誇りであります。また、昨年の3月末に国民文化祭が秋田県で行われることが決定した際には、市役所においでになり、現代詩の全国大会を北秋田市で開催するようにと私に熱く語られ、開催することが決まり、着々と準備が進んでいる矢先のご逝去でした。一番楽しみにされていたはずの先生が、その場におられないと思うと、悔しさと悲しさで胸が張り裂けそうです。本日のお別れの会には、沢山の皆さまが参列下さり、先生はきっと遥か遠い天井よりあの優しい眼差しで見守って下さると思います。私も先生のご意志をいつまでも大切に受け継ぎ、全力を尽くして地方自治発展のためにまい進していくことを誓います」などと、心から哀悼の意を表しました。
つづいて、お別れの言葉として、堀井啓一県副知事、全国防災協会 加藤昭・副会長、秋田県町村会齊藤正寧・会長、秋田県詩人協会木内むめ子氏、友人代表として佐々木満氏よりお別れのことばが述べられ、追悼電報が司会者により紹介された後、実行委員長献花、喪主・遺族献花、来賓者氏名献花、来賓・参列者献花の順に参列者がステージ中央の菊の花で飾られた祭壇に献花し、故人の冥福を祈りました。
最後の喪主挨拶では、「父・畠山義郎の生涯に深く関わってくださった方々の温かいお言葉と、大勢の方々にお見送りをいただき、さぞかし父も喜んでいることと存じます。「この郷土をなんとかしたい」その一心で20代の志に満ちた青年が、皆さんに支えていただきながら共に走り続けてきた半世紀でした。これまでに頂戴しましたご懇情に対しまして心より御礼申し上げます」と謝辞が述べられ、参列者は故人への想いを胸にお別れをして会は終了しました。