2013年07月15日
コンテンツ番号1259
大太鼓の音を響かせ五穀豊穣を祈願
(2013.7.15)
「大太鼓祭り」として知られている八幡宮綴子神社(武内尊英宮司)の例大祭が7月15日(月)に同地区で行われ、直径3メートルを超える大太鼓や、獅子踊りなどの郷土芸能が神社に奉納されました。
例大祭は、今から約七百年前の弘長2年(西暦1262年)ころから始まったと伝えられています。当時の綴子村は灌漑用水の不足に悩んでいました。そのため雨乞いの神事として天に届くような大きな音を轟かせる大きな太鼓が作られ、明治の末期にはすでに直径6尺(1.8メートル)ほどであったといわれています。
また、当時の奉納行事は、源氏と平家、藩政時代以降は徳川方と豊臣方に別れた上町・下町両集落が合同で行っていましたが、奉納の先陣争いでけが人が出るほどでした。そのため昭和のはじめからは、両集落が一年交代で奉納することになり、今度は太鼓の大きさを競い合うようになりました。昭和6年には下町が2.10mで上町の太鼓は直径2.16mでしたが、以後交互に新調・改造を行ない、現在では両集落とも直径が4m近い巨大なものになりました。
今年の当番町は下町。下町の大太鼓は最も大きなものが直径3.71mで昭和61年に製作され、平成元年に世界一大きな和太鼓としてギネスブックで認定されました。2番目に大きなものでも3.18mあります。 また、奉納は出陣行列の形式で行われており、下町は豊臣方で奉納を行います。例大祭はかつて、旧暦の6月14日と15日に行われていましたが、昭和42年から7月14日・15日を定例日として開催されています。
例祭の15日は、取り仕切り役の太夫と「ヤツパレ」といわれる棒術の使い手を先頭に100人あまりの出陣行列が大太鼓の館向いの綴子基幹集落センターを午前11時過ぎに出発、3張りの大太鼓を打ち鳴らしながら綴子神社に向かい、地元の人たちや観光客が見守る境内で奉納行事を行いました。沿道には、市内外から訪れた観光客などが太鼓を背景に記念撮影するなど、盛んにシャッターを切っていました。
境内では、出陣一行を取り仕切る太夫の口上で始まり、勇壮な獅子踊りが奉納行事の口火を切りました。獅子踊りは、頭に獅子頭をつけた装束で小太鼓を打ち鳴らしながら3人で踊ります。獅子踊りは、上町の踊りは親獅子が子獅子を探す所作を、下町が雄獅子と雌獅子の求愛の所作を表現しているといわれ、10分ほどの間境内を激しく動き回ります。踊り手は、長距離走をこなせる若者でないと演じきれないとも言われ、躍動感豊かな演技に見物客らも大きな拍手を送っていました。
続いて、子どもの奴が大人顔負けの演技を披露しました。トリを取った青年会の奴は、軽快な所作で扇奴、綾奴などの奴踊りの演目、棒使いの技を鮮やかに決め、満場の拍手を受けていました。
なお、奉納行事の前には、神社境内で作占い「湯立ての神事」が行われました。大鍋にお湯を沸騰させ、神職や氏子がワラの束でかきまわして立つ湯のしぶきの加減で作物の作況を判断します。今年の作況は「早生種の方がいいように見えます。水の心配はありませんでしたので、平年作に近づいていくものと思います」と占いの結果を説明しました。