2013年02月01日
コンテンツ番号7527
「今年は平年よりやや良」
小正月行事「雪中田植え」の稲刈りが2月1日(金)、大太鼓の館前で行われ、JA鷹巣町など関係者約50人の参加のもと、JA鷹巣町青年部により今年の稲作の豊凶が占われました。
雪中田植えは、農家が一年の仕事始めの儀式として水田に見立てた雪の上に、稲わらや豆がらを束ねた“稲”を植え、その稲の倒れ方や実の入り方などで作柄を占うもので、たわわに実る稲穂のように頭(こうべ)を垂れた状態であれば豊作、直立していれば実が入らない不稔、倒れていれば風水害の被害を意味し、凶作とされています。
綴子地区に伝わる雪中田植えも、一度途絶えたものを昭和58年、稲作作りに執念をかけた篤農家の故・高橋佐一郎さん(綴子上町)によって復活されました。昭和61年に高橋さんが亡くなって、また一時途絶えましたが、昭和63年より地域の農業後継者である旧綴子農協青年部が意思を継いで「再復活」、現在はJA鷹巣町青年部(堀内英俊部長)が継承し今日に至っています。
この日は、大太鼓館前に特設された雪田に、1月15日の雪中田植え(=記事はこちら)で植えられた稲の刈り取りが行われました。
刈り手は、田植え人を務めたJA鷹巣町青年部の奈良田大輔さん(31歳)。農業関係者らが見守る中、田植えのときと同じ昔ながらのけら、菅笠姿で鎌を使い、稲の束を一株ごと慎重に刈り取っていきました。
刈り取られた稲は、JA鷹巣町組合員で青年部OBでもある篤農家の畠山喜久雄さん(60歳)によって見立てが行われ、刈り取られた稲16束のうち、直立しているのが3本、稲の曲がりの足りない束が5本、適度に曲がっていて実入りの期待できる束が8本と選定しました。
畠山さんは「近年の気候が、昔とだいぶ変化しているため、占うのが非常に難しいが平年よりやや良、悪くとも平年並み」と占いました。また「やはり米をつくるのに天気も大事ですが、なによりも作る人が手を抜かず、手間ひまをかけることが大事。みんなで頑張っていきましょう」などと話しました。