2014年07月15日
コンテンツ番号7338
ごう音を響かせ練り歩く
「大太鼓祭り」として知られている八幡宮綴子神社(武内尊英宮司)の例大祭が7月15日(火)に同地区で行われ、直径3メートルを超える大太鼓や、獅子踊りなどの郷土芸能が神社に奉納されました。
例大祭は、今から約七百年前の弘長2年(西暦1262年)ころから始まったと伝えられています。当時、綴子村が灌漑用水の不足に悩んでいた際、雨乞いの神事として天に届くような大きな音を轟かせる大きな太鼓が作られ、明治の末期にはすでに直径6尺(1.8メートル)ほどであったといわれています。
当時の奉納行事は、源氏と平家、藩政時代以降は徳川方と豊臣方に別れた上町・下町両集落が合同で行っていましたが、奉納の先陣争いでけが人が出るほどでした。そのため昭和のはじめからは、両集落が一年交代で奉納することになり、今度は太鼓の大きさを競い合うようになりました。昭和6年には下町が2.10mで上町の太鼓は直径2.16mでしたが、以後交互に新調・改造を行ない、現在では両集落とも直径が4m近い巨大なものになりました。
今年の例大祭は上町が当番町。上町の大太鼓は最も大きなものが直径3.80m、二番目に大きなものでも3.30mあります。例大祭はかつて、旧暦の6月14日と15日に行われていましたが、昭和42年から7月14日・15日を定例日として開催されています。
本祭りの15日は、取り仕切り役の露払い太夫と「ヤツパリ」といわれる棒術の使い手を先頭に団旗、陣旗、豊年旗、槍や鋏箱を持った奴、裃(かみしも)に陣笠姿の侍など50人あまりの出陣行列が上町集落の北端を午前11時に出発し、3張りの大太鼓を打ち鳴らしながら綴子神社に向かい、地元の人たちや観光客が見守る境内で奉納行事を行いました。
また、奉納行事の前には、神社境内で作占い「湯立ての神事」が行われました。大鍋にお湯を沸騰させ、神職や氏子がワラの束でかきまわして立つ湯のしぶきの加減を見ながら、作物の作況を占った結果、今年は「豊作とまでは言えないが、平年作以上は見込める。米の種類は早生(わせ)、中手(なか)、 奥手(おくて)の三種類あるが、奥手が一番良かった。また、湯気が多いことから天候不順が考えられる。天候に気を付けてもらいたい」と説明しました。