2015年11月28日
コンテンツ番号7019
秋田考古学協会設立60周年記念研究会
915年に発生した十和田火災噴火や火山災害をテーマとした研究会が、11月28日(土)に文化会館で開かれ、参加者が専門家による講演や調査報告を通して、火山噴火の実態と古代社会に与えた影響について理解を深めました。
研究会は、秋田考古学協会(小松正夫会長)が設立60周年を記念して開いたもので、北秋田市教育委員会の共催です。
はじめに、小松会長が「今回の設立60周年は9月に企画したが、この研究会に合わせたように片貝家ノ下遺跡から915年の十和田噴火で埋没した平安時代の家屋が発見された。その直後に、本日のテーマである研究会を開催できたことは、今後の会の発展に弾みをつけるものと思う」とあいさつしました。
続いて秋田大学教育文化学部教授の林信太郎氏は、「火山学者が語る十和田火災噴火」と題し基調講演し、十和田火山の噴火のメカニズムや周囲にもたらした火山災害について解説しました。林氏は1100年前の噴火は、日本国内で過去2000年間に発生した火山噴火で最大規模と強調したうえで、「57億トンのマグマが噴出し、噴出したマグマは、はじめ噴煙柱を作り、上空にのぼり、軽石や火山灰となって降ってきた。その後火砕流が発生し、十和田湖から鹿角市へ向かって流れ出した。下流では、火砕流が水と混じりあった火山泥流となって米代川沿いを流下し、当時の人々に大きな被害を与えた」などと話ました。また、「日本のポンペイといわれるが、面積はポンペイよりはるかに広い。915年の火山噴火は平安時代のタイムカプセル。貴重な資源が眠っているので、地域の発展に活用できればよい」と述べました。
この後、県埋蔵文化財センターの村上義直氏が、火山灰に埋もれた家屋の屋根跡が先ごろ見つかった大館市の片貝家ノ下遺跡についての調査概要を報告。村上氏は、発掘調査の成果として「米代川流域低地の古代集宅の存在が実証され、木材がなくても屋根の痕跡で建物の位置が確認できることがわかった」などと述べました。さらに、北秋田市教育委員会の榎本剛治氏は「胡桃館遺跡からみる米代川流域の古代社会」と題し、火山泥流で家屋などが没したとされる胡桃館遺跡の発掘成果などを報告。榎本氏は「元慶の乱(878年)以降、県北部についての文献は少なく、胡桃館跡などの埋蔵建物を調査することで、当時の人間活動に迫れるのではないか」と話しました。
また、十和田火山と同様、古代に噴火し周辺の集落に火山災害をもたらした鹿児島県の開聞岳の歴史に詳しい東北歴史博物館長の鷹野光行氏が「874(貞観16)年の開聞岳噴火の罹災と復旧」と題して特別講演を行いました。
研究会には約300人の考古学ファンが参加し、熱心にメモをとりながら当時の暮らしに思いを馳せていました。