2016年10月29日
コンテンツ番号5775
郷土の作曲家の名曲を後世に伝える
(2016年10月29日)
北秋田市出身の作曲家・成田為三先生墓前演奏が、10月29日(土)に米内沢の龍淵寺で行われ、地元の合唱団や市民など参加し、時代を超えて受け継がれる名曲を残した郷土の作曲家をしのびました。
成田為三は明治26年、旧米内沢村生まれ。大正2年に秋田県師範学校を卒業、毛馬内尋常高等小学校教師を務めたあと、同3年に現在の東京芸術大学の前身である東京音楽学校に入学します。在学中、山田耕筰に作曲を師事。同4、5年頃に「はまべ(浜辺の歌)」を作曲します。同8年には真価ある童話や童謡を創作し紹介していく雑誌「赤い鳥」に「かなりや」を発表して一躍有名になります。その後、ドイツに渡り本格的な作曲技法を学び、帰国後に川村女学院講師、東洋音楽学校講師を経て、国立音楽学校教授に就任します。そして、昭和20年4月の空襲で自宅が焼失し、多くの作品を失います。同年10月に脳いっ血のため51歳で急逝し、遺骨が米内沢の龍淵寺に埋葬されました。
墓前演奏は、成田為三先生の命日にあたる10月29日に墓前で合唱し、その功績を称え、後世に伝えていくために行われています。
この日の墓前演奏には、地元の合唱団コール・もりよしと浜辺の歌音楽館少年少女合唱団、浜辺の歌音楽館運営審議委員、市教育委員会、市民など約40人が参加。はじめに、遺影が飾られた墓前で龍淵寺の奥山亮修住職が読経し、参列者の代表が焼香を行いました。そのあと、浜辺の歌音楽館少年少女合唱団が「雨」と「かなりや」を、合唱団コール・もりよしが「秋田県民歌」を披露。最後に参加者全員で「浜辺の歌」を高らかに合唱し、成田為三先生の功績を称えました。