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大太鼓祭りの由来

【大太鼓の歴史】

 鷹巣町綴子の伝統行事「綴子大太鼓祭り」は今から約七百年前の弘長2年(西暦1262年)ころから始まったと伝えられています。当時綴子村は耕地面積に対して水源と水路の便が悪く、常に灌漑用水の不足に悩んでいました。

 そのため雨乞いの神事として大太鼓の行事が始まったと言われています。太鼓の大音響を干天の雷鳴に似せて「氏子民の切なる真心を捧げて天井の神に祈りを込め、龍神も感応し雨を降らす」との素朴な強い信仰心から発していたものです。

【太鼓の大きさ】

 その頃の太鼓の大きさは約70cmくらいであったと言われていますが、幕末から明治くらいには1.5mくらいになり、明治末期には1.8mくらいになりました。この行事は、隣接する上町(うえまち)集落と下町(したまち)集落が一緒に行っていたものですが、ともにライバル意識が強く、奉納の先陣争いがあまりに激しくなったことから、昭和の初期からは一年交代で行われるようになり、以後太鼓の大きさが競争心をかきたてるようになったといわれています。

  昭和5年には下町で直径2.1mの大太鼓を製作し、秋田魁新報社の新春トピックスで秋田県一に当選すると、翌年上町で2.16mの大太鼓を製作し、ともに日本一を称されるようになりました。現在に至るまで上町、下町の競争は続き昭和61年に下町が3.71mの大太鼓で世界一の大太鼓としてギネスの認定を受けると、平成4年には上町が3.8mの大太鼓を新調、全国にその名を響かせています。

 なお、大太鼓は国道7号線沿の「大太鼓の館」に展示保管され、いつでも観覧できます

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