2007年10月06日
コンテンツ番号8994
阿仁地区、24戸の民泊で選手ら110名を迎え入れる
(2007.10.6)
アーチェリー競技は5日、阿仁吉田地区に新しく整備された特設競技場を舞台にしての競技が始まり、全国各地からの選手・監督331名が7日まで熱戦を繰り広げます。
別名「洋弓」とも呼ばれるアーチェリーは、16世紀にイギリスで起こって以来、アメリカなどを中心に世界中に広まり、オリンピックの正式種目にもなるなど人気の高い競技。2004年アテネ五輪での日本の山本博選手の銀メダル獲得は記憶に新しいところです。
秋田県では過去に国体入賞もなく競技人口も少なかったことから、どちらかと言えば馴染みの薄い競技でしたが、県勢では東北総体で2年連続の総合優勝を果たすなど、徐々にそのレベルアップが図られてきており、国体開催県としての活躍が期待されています。
選手は70m先の122cmの的を狙って矢を放ちます。的は10段階(点数は真中から外側へ10点・9点・8点・・・1点)の得点区分となっており、矢の当たったところで得点が決定するという実にシンプルな競技です。しかし、風など多くの自然条件の的確な判断を行うなど、精神の集中度をぎりぎりまで高める力を持ち合わせることが求められます。
種目は、成年男女、少年男女それぞれの個人戦と団体戦で、予選ラウンドと決勝ラウンドからなり、団体戦はチーム3人の合計得点の上位チームが準々決勝、準決勝、決勝戦(決勝ラウンド:トーナメント方式)と戦いを進めていくこととなっています。
初日の5日はさわやかな秋晴れとなり、特設の観覧席に詰め掛けた約300人の市民らが観戦する中、午前中に成年女子と少年女子、午後から成年男子、少年男子のそれぞれの予選ラウンドが行われました。
この中で、秋田県勢は女子の部で少年、成年がそれぞれ8位、15位となる得点を挙げ、決勝ラウンドへの進出を果たしました。午後から行われた男子では、少年、成年とも健闘しましたが、残念ながら予選での敗退となりました。
この初日は同じく、団体予選の中での各個人の得点による個人タイトル戦(決勝)となりましたが、秋田県チームのは決勝に進むことができませんでした。
一方、17都道府県・110人の選手・監督が阿仁地区の一般家庭に民泊して競技に臨んでいます。早いところでは3日に現地入りしたチームもありましたが、同地区内では民泊協力会・5団体が結成され選手らの食事や宿泊等の世話を行っています。
参加選手・監督の1泊あたりの負担金は一人7700円と統一されています。阿仁地区では24戸が受け入れていますが、食事(朝食と夕食)は個々の世帯ではなく、協力会単位に集落会館などの公共施設を使って提供する仕組みになっています。
遠路訪れた選手らを地域全体で歓迎しようと、各協力会では趣向を凝らした「歓迎会」を実施したりオリジナルの手作り土産品を準備するなど、その温かいもてなしに各県選手団からはたくさんの感謝の笑みがこぼれていました。
「ようこそ阿仁へ」の歓待は、何はともあれ地域特産品の提供です。民泊した選手らを喜ばせたのは、「地場産・比内地鶏のキリタンポ」「阿仁マツタケ」「新米のあきたこまち」らの全国に通用する“食ブランド”の数々。「秋田の食べ物は絶品。最高にうまい」と太鼓判。各協力会の主婦らも、早朝5時前からの朝食の段取りから夜10時過ぎになる夕食の後片付けと、献身的なもてなしがその舞台裏を支えています。
競技会場に最も近い吉田集落の「吉田民泊協力会」では、4戸で合計20人の監督・選手を受け入れ、宿泊や食事等の接待に励んでいます。 同集落の梅井繁司さん(61)=農業=宅には四国・香川県の少年女子チーム5人が入りました。一行は、「香川から電車、飛行機などを使ってほぼ1日かけてやって来た」と長旅を振り返りながら、阿仁地区の印象については、「山々が急峻ながら、スギ並木が美しい」「のどかな山村」「地域あげての歓迎ぶりに感激」などと述べ、「家族と触れ合えることが一番」「温かい心遣いに民泊の不安なんかすぐに消えた」と旅館やホテルへの宿泊では得がたい民泊のメリットを語ってくれました。
選手らを迎え入れた梅井さんと奥さんの和子さん(56)は、「明朗活発な高校生。民泊受け入れは初めてだが、この娘さんたちに元気をもらった。これを機に交流を広めることができればありがたい」と話し、香川から秋田・阿仁への再訪に期待を寄せていました。
幡(はた)則和監督は、「結果として予選敗退であったが、このチームの持ち味はチームワークの良さ。この秋田国体での貴重な試合と歓待を受けた民泊の経験を今後に生かして欲しい」と、梅井さん家族と愉快に談笑する4人の選手に労いのことばをかけ、来年の大分国体での健闘を誓っていました。