ホーム>新着情報一覧

〜遺跡巡り、いにしえのロマンに想いはせる〜
〜北秋田市内遺跡発掘調査合同見学会〜
 4つの遺跡を巡った「市内発掘調査合同見学会」。それぞれの遺跡では、今年度の調査成果を紹介するとともに、出土品を展示、参加者は縄文時代から戦国時代までの北秋田地方の人々の生活に思いをはせていました(1日、写真は伊勢堂岱遺跡で

 伊勢堂岱遺跡や向様田遺跡など北秋田市内の4つの遺跡の発掘調査見学会が9月1日(土)開かれ、参加した考古学ファンなどが北秋田地域の古(いにしえ)の文化について理解を深めました。

 見学会は、市教育委員会と秋田県埋蔵文化センターの合同開催。今年度、北秋田市内では伊勢堂岱遺跡、小又川流域の二重鳥(ふたえどり)B遺跡、森吉家ノ前遺跡、向様田(むかいさまだ)D遺跡の4遺跡の発掘調査が実施されています。

 見学会は、発掘調査の成果を広く公開するとともに、見学を通して北秋田地域の歴史と文化の豊かさ、深さを実感してもらおうというものです。

 午前中行われた伊勢堂岱遺跡の見学会には、市内外から約40人ほどが参加しました。伊勢堂岱遺跡は縄文時代後期前半(今から約4千年前)の遺跡。平成7年、大館能代空港のアクセス道路建設に先立つ発掘調査で発見され、4つの環状列石や配石遺構など、多くの祭り・祈りの施設が見つかり、大規模な祭礼の場ではないかと考えられています。平成13年には国の史跡に指定されています。

 今年度は第14次調査で、4つの環状列石A・B・C・Dのうち、最も南側に位置する列石Dの本体を発掘しています。

 見学会でははじめに、市教育委員会の長岐直介生涯学習課長が「6月から始まった今年度の調査は順調に推移している。遺跡に関心を持っていただくとともに、皆さんの視点からぜひご意見、ご提言を」などとあいさつ。この後、市教委の担当者がガイド役を務め現地を案内しました。

 担当者は、遺跡調査の経緯や、大湯ストーンサークルなど他の環状列石を持つ遺跡との相違などに触れながら、▽伊勢堂岱遺跡の列石は、ここから7・8キロ離れた小猿部川の上流や阿仁川などから運ばれてきたこと▽遺跡の一部には人が埋葬されていたこともわかっているが、人骨が発見されたわけではない。これは土壌を分析すると脂肪酸など人間に特有の成分が含まれていることから▽列石Dは、直径36mの2重の円に石を配置したことがわかっている、などの調査成果を紹介し、「今後石の組み方や種類を考察し、他の列石との違いやどんな祭礼を行っていたのか、などを明らかにしたい」と説明。

 また、環状列石は、20万uの広さをもつ遺跡全体の北側の一部に集中していることも謎の一つになっていることを上げ、▽この場所に作られたのは、北側に見える白神山地や天体の運行などに関係があると考えられていること▽なぜ、石を遠くから運ぶという腹の足しにならない作業をしてまで列石をつくったのか、といった疑問を解くために、遺跡北側の眺望をさえぎっている杉などの立木を伐採し、白神山地や田代岳がよく見えるようにすることで、「この場所に遺跡を造った縄文人の世界観を知る手がかりとしたい」などと、調査の目的や整備計画について述べていました。

 午後からは、森吉山ダム建設でダムの底に沈む小又川流域の3遺跡の見学会。ダム地内には、61カ所の遺跡が地下に眠っていることがわかっています。県及び市教育委員会では、ダム完成により水没する遺跡について平成7年から調査を開始、これまでに51カ所の遺跡の調査が実施されています。

  約60人ほどの参加者は、阿仁前田・四季美館前からバス2台に分譲し遺跡を巡りました。このうち県教委が調査主体となっている森吉家ノ前A遺跡は、すぐそばに旧森吉小学校や郵便局があった場所で、縄文時代前期から鎌倉・戦国時代にかけて集落が営まれていた遺跡。ここからは、鎌倉時代から戦国時代にかけての掘立柱(ほったてばしら)建物跡などがいくつも見つかっています。

 建物跡群の近くには、南北に連なって10基の井戸跡が発掘され、井戸跡からは、子どもの下駄一足分なども出土しています。 このほか、ここで見つかった中国で作られた宋銭や明銭などの貨幣、戦国時代頃の銅鏡なども現場に展示され、参加者は、当時の暮らしの中で実際に使われていたこれらの遺物に見入りながら、古(いにしえ)の人々の生活を思い浮かべていたようでした。  

【森吉山ダム関連3遺跡について】

森吉家ノ前A遺跡

 縄文時代前・中・後期、鎌倉〜戦国時代頃の遺跡。縄文時代前期の土器・石器、中期の竪穴住居跡のほか、旧森吉集落が形成され始める頃の掘立柱建物跡群、大溝跡、井戸跡など集落の一部も検出されました。
 東西に長い4間×9間の大型掘立柱建物跡(左)10基見つかった井戸跡の一つ。木枠で補強され、中には廃材や石、下駄や箸など生活用品が投げ込まれているものもありました(中)その一部。左側に見える長さ15cmほどの子ども用の下駄は一足分。数百年前、ここで遊んでいた子どもの姿が見えてきそうです(右)

二重鳥B遺跡

 縄文時代前期・中期・後期・晩期(約5,000〜3,000年前)の遺跡。現在まで、竪穴住居跡14棟分、フラスコ状土坑21基をはじめ配石遺構、土坑、柱穴状ピット、土器埋設遺構などが見つかっています。竪穴住居跡は、炉の跡や焼土(熱を受けた痕跡のある土)遺構なども含めると30棟あまりにのぼると考えられています。
 また遺物は、土器、石器のほか腕輪状土製品、耳飾り、土偶などの土製品、石刀などの石製品が見つかっています。
 壁の深さが90cmと比較的深い住居跡(左)木の実などを保存したフラスコ状の貯蔵穴(中)出土した遺物。直径6.2cmと大型の耳飾も(右)

向様田D遺跡

 遺跡周辺に位置する向様田A・B遺跡なども合わせて縄文時代晩期、今から約3,000年前に人々が盛んにマツリなどを行ったと考えられている場所です。特に盛り土からは約20万点の土器破片や2万点あまりの石器など、大量の遺物が出土しました。
  大量の遺物が出土している盛り土部分。ダム建設の関係で発掘調査が許されているのは9月下旬まで。急ピッチで発掘が進められています(左・中)出土した壷型土器、注口土器の一部。表面の一部に赤い塗料が残っているものもあります(右)

 

(2007.9.1)


前へ戻る