2017年08月14日
コンテンツ番号3687
夜空を彩る幻想的な炎で先祖を供養
第46回合川まと火、第37回合川ふるさとまつりが、8月14日(月)に合川橋付近と合川市民健康広場を会場に開催され、市民や帰省客が「まと火」や「合川通り踊り」、「スペシャルステージ」などでゆく夏の夜を楽しみました。
合川ふるさとまつりは、午後4時30分にバタもっちやないりっくんなどの「ゆるキャラ集合」で開幕。地元のアマチュアバンドの演奏と合川太鼓保存会の迫力ある呼太鼓に続き、婦人会と合川中学校女子生徒による華麗な踊り「合川通り踊り」が披露されました。
合川通り踊りの後に行われた開会セレモニーでは、実行委員会を代表して合川ふるさとまつりの金森勝三実行委員長が「過疎化で人数が減少してきている中、皆さんが力を合わせて行事を開催できることを頼もしく思っている。最後まで有意義に楽しんでほしい」などとあいさつ。
続いて、来賓を代表して津谷市長が「今年も東京都国立市で開催された「国立まと火」に合川まと火保存会など関係者が参加し、大変喜ばれた。旧合川町時代から続いている国立市との交流を広げていきたい」などと祝辞を述べました。
この後、会場の合川市民健康広場では合川太鼓保存会の皆さんによる「合川太鼓」が披露されたほか、スペシャルステージでは、ものまねタレントの藤川なお美さんが、山口百恵さんをはじめとしたモノマネを披露し、歌とトークで会場を盛り上げました。
一方、阿仁川堤防が会場となった「合川まと火」は、午後7時30分から合川橋を挟み堤防約1.2kmにわたる水平まと火、車まと火、「46回合川マトビ」の文字を浮かび上げる仕掛けまと火が、合川中学校男子生徒の手によって次々に灯されました。
今回は、まと火の対岸の河川敷でも合川太鼓保存会が合川太鼓を披露。光と音の共演という新たな試みで、合川橋付近から眺める来場者たちは、幻想的な雰囲気に浸っていました。
合川太鼓
平成元年6月、旧合川町で県連主催の和太鼓講習会が行われたのをきっかけに、同年8月の生涯学習講座の中で合川太鼓として発足しました。大曲太鼓道場、現在、秋田県太鼓連盟専務理事、鈴木孝喜氏の指導により、合川囃子を修得し、その後、合川太鼓保存会として住民とのふれあい、地域の活性化をめざして活動しています。
合川通り踊り
合川中学校の女子生徒、婦人会など約200人で踊る通り踊りは、大勢にもかかわらず息のピッタリと合った踊りです。合川ふるさと音頭、合川まとび音頭、タント節に合わせ、まと火をイメージした先が赤い棒を鮮やかに操ります。
タント節
タント節の由来は旧合川町の旧大野村、現在の東地区の辺りで月明かりの夜、若者たちが藁打ち作業で歌った「わら打ち唄」が現在は酒席で歌われるようになったものです。1から10までの数え唄式のような語りで、本来ならば「イロハ口説き」といって非常に長いものです。このタント節は合川が発祥の地と言われており、後に縁があり仙北地方に伝えられたものとされています。そして、平成5年度から7年度にかけて行われた合川町商工会「中小企業活性化事業」実施の際に、伝統・伝承文化の掘り起こしとして、この「タント節」を取り上げたことをきっかけに、ふるさとまつりのイベントの1つとして披露されます。
合川まと火
「まと火」は古く奈良時代から行われていた記録があり、灯明(とうみょう)は煩悩(ぼんのう)の闇を照らす仏の知恵にたとえられ、仏前にともすことは香をたいたり、花を献じたりするとともに功徳(くどく)のあるもので懺悔(ざんげ)、滅罪(めつざい)となるとされています。合川では、古くから下小阿仁地域を中心に、春彼岸の中日の伝統行事として、墓地に灯かりをともすとともに、山の尾根づたいや沢づたい、あるいは川原にたいまつを灯し先祖の霊を我が家に迎えてもてなし、供養とともに豊年満作、家内安全を祈ってきたと言われています。そして、このまと火を更に継承発展させ、人々がふるさとに帰省するお盆の14日夜に阿仁川堤防に延々と灯かりをともし、先祖の供養と郷土愛を培う伝統行事として行っています。また、まと火に使うダンポは合川住民総参加のもとに合川地区内全世帯で1個ずつ作られ、中学生の協力を得て阿仁川堤防約1.2kmに設置され点火されます。